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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



五月の小樽 (五)
 
 

 五月
 五月のはじめころから桜が咲く。家の裏の桜も咲いて春が一ぺんにきたようだ。五月になればずみきった空。春風がそよそよ吹きはじめてる。わたしの家は桜にかこまれているようだ。
(小樽・潮見台小6・武田房子)

 昭和27年10月、平凡社から出版された「綴方風土記・第一巻/北海道篇」。とある小学校から廃棄図書として出された本なのですが、読んでみると地元の「脇方小学校」(←とっくに廃校)の生徒の綴方も入っていたりして、狂喜乱舞してこちらの図書館の郷土資料として受入なおした一冊です。昔の綴方運動の息吹が直で伝わってきて、ちょっとしみじみする。さあ、みんなで平和で民主的な日本をつくるんだ!

 船からみた港内
 小樽築港駅を過ぎ、南小樽に近い頃、向うに、まっ白いアメリカの軍かん一せきとまっ白い燈台がぽうっと、かすんでみえた。南小樽で汽車をおりて、小樽港まで歩いた。坂をのぼったと思えばくだり、くだったかと思えばまたのぼり、なんとでこぼこな町だろうと思った。道路は、アスファルトでほそうしてあり、バスはひっきりなしに通るがどこか札幌とはちがう。
 港待合室で休んでからはしけにのって、船舶見学に出かけた。わたしたちが見学させてもらったのは、泉丸という貨物船で、総トン数、二、五一八トン、海軍のせっけいした船だそうだ。去年、大修理を行い、まだ外国には行っていないとのことだった。この泉丸は、今度、フィリピンヘ行くそうだ。
 かんぱんに立って海のけしきをながめた。船のかんぱんからみるけしきもかくべつだ。白いアメリカの軍かん、イギリスの商船、大きな船、小さな船、いろいろな船が青い水中にいかりをおろしている。さすがはそばに石狩平野と石狩炭田をひかえている大港だと感心せずには、いられない。
 またはしけにのった。少し行くと、トランスポーターが二台あって、一台が台車のままさかさまにして石炭をおろす仕事を、物音たてていそがしく動いていた。もとのように青い水面をながめたり、港の船などに手をふっているうちに、もはや燈台の近い所にきていた。陸から帯のようにのびている防波堤の先に、まっ白い高い燈台が、防波堤にぶつかって白い水しぶきをあげてかえす波を、じっと静にみつめるように立っていた。
(岩見沢市・岩見沢小5・福島昭子)

 うーん、いいなぁ。五月の爽やかな海風。ようやく小樽に春が来た。興がのると口ずさむ岸誠の詩。いつも「北風の港」ばっかりだから、今回は「小樽・わが町」ね。

 どこからでも海が見える
 公園や学校や坂の上から
 小樽駅を出ると
 道は一直線に海へつづく
 倉庫と運河があり
 防波堤が並び
 赤と白の灯台が残る
 どこまで行っても
 決して平坦でない道
 めぐりあうのは
 若き日の魂のかけら

 震災後の一年、「綴方風土記 第二巻/東北篇」もよく読みかえしました。何度読んでも、五十年前の子どもたちの作文に、心は「風景は涙にゆすれ」状態になってしまう。