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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



三月の石狩
 
 

 昭和7年、新婚早々の燈台守夫婦・有沢四郎ときよ子は観音埼灯台に赴任した。その後も転勤を繰り返し、北海道の石狩燈台で、雪野、光太郎の二人の子を授かる。その後、戦争で多くの同僚を失うなど苦しい時期もあったが、後輩の野津や妻の真砂子に励まされながら勤務を続ける。ところが、男木島燈台勤務の時、光太郎は不良と喧嘩をして亡くなってしまう。その後、御前埼灯台の台長として赴任する途中で雪野と知り合いの息子進吾との結婚話がまとまる。進吾の勤務地カイロに向かう船に向かって、二人は灯をともす。
(フリー百科事典「ウィキペディア」より)

 「喜びも悲しみも幾年月」。舞台は戦前ですが、撮影は昭和32年(1957年)。映画の中でもひときわ印象的な「石狩灯台」時代の撮影が行われたのが昭和32年の三月です。
 吹雪をついて札幌の病院へ馬そりを出す場面など、ほんとに生きているのが厭になるくらいの暴風雪ですね。特に海風が… 北海道の他の豪雪地帯とちがうのは、この日本海から吹いてくる西高東低そのものの北風です。「石狩」独特の風景。
 ラストシーンには小樽・高島岬の「日和山(ひよりやま)灯台」も登場します。こちらは、霧の中の灯台。映画は、灯台守夫婦の赴任地に沿って、「観音崎灯台」「御前崎灯台」といったように、その灯台の名前が出るのですが、「日和山灯台」だけは(ラストの場面ということもあって)クレジットはありません。今まで夫婦が巡ってきたいくつもの灯台を総称する記号、いわば「灯台の中の灯台」としての姿が「日和山灯台」だと言う人もいます。

 http://www.swan2001.jp/araya008.html
 「喜びも悲しみも幾年月」については、昔、スタンプラリーに狂っていた頃に一度書いています。その中で「現役だった頃の石狩灯台の美しさ」を言っているのですが、ひとつ勘違いがありました。私が美しいと思う「石狩灯台」は、現在の、赤と白の縞模様の「石狩灯台」なのですが…

石狩灯台は、もともと白一色の灯台でした。ところがこの「総天然色映画」(当時はカラーとは言わなかった)の撮影のために、赤と白の縞模様に塗り替えられてしまったのです。雪と同じ白一色の灯台では、「総天然色」の映画では効果が出なかったからです。ところが、この赤白の灯台は目立つので評判がよく、その後積雪の多い地方では順次採用されることになったのです。まさに、「ひょうたんからこま」といったところでしょうか。なお、この赤白の縞模様、塗り替えられる度にその位置が変わっているそうです。
(「『歌碑』喜びも悲しみも幾年月」HPより)

 そうですか。あの美しさも木下恵介だったんですね。