岬めぐり
《小樽の街を歩こう・第8回/短大図書館だより No.48 (2000.7)》
 
 
 今年も4月末から「北海道・道の駅」のスタンプ・ラリーが始まっています。6月からは「しりべし街道スタンプ・ラリー」も始まりましたね。いよいよ北海道の夏の到来です。
 
 
 2000年の今年は「全駅制覇」をした人には、認定証の他に「全駅制覇」ステッカーがもれなく配られるそうですが、まだ、そういうステッカーを付けた車、あまり見かけませんね。やはり、夏休み時期が山場なのでしょうか。
 
 
 私もこのスタンプ・ラリーが毎年の楽しみで、まだ雪の残る3月頃から、インターネットの「道の駅」スタンプ・マニアの主催するホームページ(驚くことにそういうホームページがあるんです)などを見ては、今年の車のコースをあれこれ想い巡らせたりしていました。
 
 でも、こういう「道の駅」の楽しみ方って、かなり北海道独特の風景みたいです。全国の「道の駅」ホームページを見渡しても、他の都府県ではこういう盛り上がりはあまり目にしません。北海道の「道の駅」だけですよね、こんなに、スタンプや町の標識プレート写真で盛り上がっているの。正確に言うと、他の都府県から来た人たちも、北海道の人たち自身も、何か「北海道」だからこそブームが加熱しているように思えます。
 やはり、「北海道」という素材、「全北海道」という言葉の響きには強力なインパクトがありますからね。「北海道・道の駅」全スタンプを制覇した!とか、「北海道」212市町村のすべてのサイン・プレート写真をカメラに納めた!といったド迫力の前には、例えば「関東」全域のスタンプを集めてみました!といった響きでは少しばかり弱いのを感じます。どうしても。
 四隅を海に囲まれた美しい十字型、大きさも、一日やそこらの努力ではとうていまわりきれない広い大地だからこそ、かえって、その全てを制覇した!といった時の喜びは大きい。北国の短い夏を、夏いっぱい楽しめる手ごろなイヴェントとして徐々に定着してきたのではないかと考えます。
 
 そして、ミレニアムの今年2000年は、さらなる強敵の出現! それは、海上保安の日制定記念「第一回・灯台スタンプラリー」の登場なのでした。
 
 
 いやー、これ、すごいです。今年は、例年行っている『しりべしスタンプ・ラリー』をお休みして、この『灯台スタンプラリー』に挑戦してみようとは私も思っているのです。ですが…
 先日、足慣らしのつもりで、後志管内の近場の「弁慶岬灯台」から「石狩灯台」あたりまでを走ってみました。
 「道の駅」を車で走りまわっていると、その時々に灯台の姿は目にしています。今回ラインナップされた20灯台の内、15〜6の灯台は「ああ、あそこの灯台ね…」と検討がつくものばかりでした。でも、ラリーをやるということは、ここからがちがうのです。「あそこ」にあるということを知っているのと、実際に「あそこ」まで行くということは全然ちがうことなのです。
 灯台ですから遠く海の方から見えるものでなくてはならない。ということは、陸の方から言えば、陸のいちばん端、岬の突端、それも崖の上…といったことになります。もちろん、車でなんか行けない。最後の崖は歩きです。体力勝負です。
 「弁慶岬」や「石狩」のように比較的ラクな灯台もあるけれど、「神威岬灯台」のように強力無比な灯台の方もまた多い。(ラリーのスタートが「神威岬」だったら、くじけてやめていたかもしれない…)
 
 短大生の皆さん、20世紀のしめくくりの夏は、こんな「灯台スタンプラリー」はどうでしょうか。『道の駅』と併用すると、ほぼ北海道の全域をくまなく走るハード・レース。こんなに頑張っても何か見返りがあるわけでもないけれど、でも、札幌の路上でぐうたら座り込んでいる夏よりはマシな気がする。体力も時間もある若い時代こそ華ですよ。
 短大で、せっかく全道の各地から集まってきた友だちができたのだから、そういう友だちの故郷を互いに訪ねあいながら協力して走りまわってみたりするのもいいでしょう。就職活動に疲れた頭には、そういう見知らぬ土地の人たちの生活や、友だちの家族の何気ない言葉の中に、これからの自分の人生を決める貴重なヒントが隠されているかもしれません。
 神威岬の突端まで自分の身体を運び、潮風に吹かれながら「北海道」の広さを自分の五感で感じるのはなかなか悪くない。口先で「試される大地」を言うよりも、身体全体で感じてこその「試される大地」なのではないでしょうか。
 
 
 同じく先日、「灯台」ラリーのスタートを記念して、我が家のビデオ・コレクションをひっくり返して、ようやく映画『喜びも悲しみも幾年月』を見つけ出しました。いやー、これも懐かしかった!(短大図書館にもあります。ぜひ短大に在学している間に観てくださいね。)
 
 「戦前の」日本(撮影は1957年。ドラマの設定が「戦前」です)の、その自然の美しさや、日本の家族の在り様には、何度観直しても、いつも心に湧き来るものがあるのですけれど、今回は、新たに二つの発見がありました。
 
 その1。現役だった頃の「石狩灯台」の美しさ。本当に、吹雪の石狩湾にスーッと立っている石狩灯台の姿は息を呑む美しさです。これだけでも三時間余を費やしてこの映画を観る価値はあるでしょう。
 
 その2。映画の中で「佐田啓二」の姿が何度も「中井貴一」になったこと。親子って、こんな感じで似ているのですね。写真で見ていると、別々の、「佐田啓二」と「中井貴一」という二つの容貌だと私たちは認識しています。でも、映画の中で、カメラのような客観的な目を通すと、本当に、若き日の「佐田啓二」の一瞬の表情や仕草は、今の人の目には「中井貴一」そのものなんですね。
 けっこうショックでした。子どもは成長して、とっくに私は親から独立した別個の人格だと自分のことを思いこみたいところなのだろうけれど、客観的な他人の目には、こんなにも瓜二つだったんだというのは、けっこう、目から鱗が落ちるような体験ではありました。