今月は単なる頁合わせの自慢大会です。まあ、毎回そんなものだけど。何の拍子かもう覚えていないのだけれど、今年は春の頃から北海道「道の駅」の『スタンプラリ−98』チャレンジブックが車の中にありました。 |
で、いつもの水汲みに行った時の帰りなんかに「道の駅」があると、 |
こんなスタンプとか、 |
こんなスタンプを押していたわけです。ちなみに、@は「道の駅いわない」の「たら丸くん」、Aは道の駅「オスコイ!かもえない」の「どらごん太」です。…となれば、Bの道の駅「よってけ!島牧」のふたりは、そうです、「しまくん」と「まきちゃん」なんですね。 |
なんちゅうトホホなネ−ミング。(「どらごん太」みたいに予想外の大爆発もあるけれど…) ニセコだから「ニッキ−」とかさ、君たち、仲間内で盛り上がるの、い−かげんにしなさいよって感じです。「道産子」ひっくり返して「コンサド−レ」とかさ、なんか最近北海道はこんなネ−ミングが増えているの。 日本語破壊のようでもあり、単なる時代錯誤で、昔東京で覚えたジャズ・ミュ−ジシャン風俗みたいのが十勝の町役場やススキノのニッカ・バ−あたりで生き残っている…ってだけの話かもしれませんが。 バブルあたりからの若者言葉のイントネ−ションの変化、例えば「ギタ−」じゃなくて「ギタ−」、「彼氏(かれし)」じゃなくて「彼氏(かれし)」という風に、ビ−トの後打ちやベタ打ちという現象は、言語学では「日本語の北海道弁(北海道標準語)化」として昔から有名な現象なんですけれどね。 マスコミが発達して、渋谷のクソガキも根室のネ−さんも那覇のハイサイおじさんも「ペル−ジャの中田」のシュ−トを同時に衛星で見ているような状況になると、どうしても日本語(標準語)は、さまざまなところから人が集まってきた北海道風の収縮になります。今に日本中み−んな新谷さんみたいな話し方になるんですね。 このイントネ−ションに、この「コンサド−レ」みたいなダジャレ感覚(文法)が加わったら、けっこうな日本語世界ではありますね。今でさえ、いい大人が「Go!Go!じょんいるくん」とか「小渕K三」とかやっているんだもん。ちょっと昔、国会議員が「僕は太陽党だ」「僕はフロム・ファイブだ」ってやり始めた時、ああ…ここまで来たら、もう「(鉄腕)アトム・クラブ」しかないだろうなぁ…って思ったけれど、こんな芸風が大衆レベル規模で起こったら、さぞかしステキだわ。 |
今年の夏の思い出に「枝幸」のスタンプも載せておこう。オホ−ツクの海が見えますね。(いや−、こんな鉄道少年みたいな感覚がまだ残っていたなんて、自分でもびっくりですけど。) ここまで来ると「樺太」も見えないのか…となりますが、今年はサロベツのスタンプで我慢してください。向こうに「礼文島(利尻富士)」が見えますね。この「とんがりかん」は北海道道の駅の第一号なんだそうで(1993年か…私もこの頃、北海道ドライブの面白さに目覚めたひとりです)、ここのタコ料理がとんでもない美味しさなんです。 ドライブイン・レストランにありがちな、旨くもない名物「北海ラ−メン」とか「シ−フ−ド・カレ−」とかを思い浮かべて、でもしょうがないな…時間がないからここで食べておこうか…とかなるでしょう。で、何の期待もしないで、いちばん無難そうな和定食とか幕の内とか注文する… |
出てきた料理の「タコの煮付け」とかを口に含んでみたら、みんな愕然としますから、その上品な味付けに。なんでこんな過疎の町で築地の料亭みたいな味が出てくるのだろう…と。 本当に「築地の料理」だったの。 聞けば、板前さんは本当に築地の料亭で働いていた人で、何を思ったのか、ある日、この遠別の町にUタ−ンかIタ−ンかした人だったのね。町の村興しの準公務員みたいなところで、物産の「タコ」のいろいろな料理法を日々研究しているとかで。 北海道の田舎町はこれがあるから恐いですね。どこにどんな腕の人が潜んでいるかわからないです。先月の「ショ−トカット・タイム」で紹介したようなU・Iタ−ン者も1990年代からと考えても、もう十年ですからね、かなりの人数になっているのではないでしょうか。不況とか「試される大地」とか騒々しいけれど、私は、「拓銀」に代表されるような古い北海道が崩壊することには何の同情もない。あんなの、ただの田舎者だもの… 昔覚えた技しかできない連中が意地になってもっと頑張る(つまり、もっと借金が重む…)よりは、「タコの煮付け」のような意外な(でも、じつはワ−ルドワイドであるという)解法の方が私は好きですね。 人々にあんなに美味しい料理を作る才能は私にはないのだけれど、なんか私も、自分の『Northern songs』とかSWAN−MARCの能力(笑)をこの北海道の不況克服のために役に立つものならば役立ちたい…という気持ちはありますね。こういう気持ちになったのは最近のことなので、あまり上手く説明できないんですけれど。 |
なんか、スタンプ・ラリ−って、B型体質の人には毒ですね。どんどんノメりこんでしまいます。夏の頃からは、もう一冊『しりべし街道スタンプラリ−』というのも始めてしまいました。 『道の駅』の方は、さすがに北海道全域に渡っていますから、夏のスワン社・ホ−ムペ−ジのためのアルバイトを放り投げてまで走り回っているわけにはいかない!というのは自分でもわかっています。でも『しりべし』はねぇ… 後志(しりべし)ってのは、北海道はその中をいくつかの支庁(行政管区)に分けているのですけれど、その内の小樽・余市・倶知安・ニセコなどが集まった地域の名称です。ちなみに、隣の札幌などは「石狩(いしかり)」支庁、グレイの函館などは「渡島(おしま)」支庁というように。 で、どうしても、後志は俺のテリトリ−だ!という意識がありますからね。(小樽歴七年程度の若輩がこんな口きいていいんだろうか!) まあ、「当たる、当たる、後志の特産品!」という応募のランキングを見てみましょう。ポイントは、観光施設が「1ポイント」、イベントが「2ポイント」です。 @完全制覇コ−ス(30ポイント以上) ………………賞品:後志の名産品ゴ−ルドセット A後志の達人コ−ス(20ポイント以上)………………賞品:後志の名産品シルバ−セット B後志エンジョイコ−ス(15ポイント以上)…………賞品:後志の名産品ブロンズセット C後志チャレンジコ−ス(5ポイント以上)……………賞品:後志の名産品 結果。今年の私は「後志の達人」でした。観光施設20か所をすべて回り、堂々20ポイントをクリアしての成分のよろしい「後志の達人」です。 シルバ−セットって何でしょね。真狩名産のじゃがいも一袋とかでしょうか。岩内の「たら丸くん」人形とかだったら泣いちゃうけれど。まさか達人に向かって、そんな無礼な真似はするまいな。 イベント関係では「第14回・味覚の祭典よいち大好きフェスティバル」ってのに行ったんですけどね。一回行って懲りた。ホント、北海道って娯楽が少ないのかなぁ、すんごい人が集まっていて、車を駐車場に止めるだけでも大騒ぎでした。もう二度と行くまい… まあ、いろいろあったけれど、全体的には、たいへん勉強になったラリ−ではありました。スタンプのために今まで行ったこともないような場所にもずいぶん行ったし。オホ−ツクとかサロベツでもやらないかな。 やっぱりなぁ、「エンジョイする人」は別にしても、「チャレンジャ−」と「達人」とは何がちがうのかと言えば、最後は、こういう見えないポイントの稼ぎ方なのね…(笑)ということが良く分かりました。 この観光施設20か所の中のベストは、やはり「S黒松内温泉《ぶなの森》」でしょうか。 スタンプがなければ、黒松内町で車を降りることなんてないでしょうね。何の期待もしないで行ったのだけど、この公営温泉、6月にできたばかりだそうでピカピカでした。文字通り周囲が「ぶなの森」でね、町のたたずまいも人が少なく静かで、私の好みです。 車で函館なんかに行く時には、こういうところで休憩するといいんでしょうね。「トワ・ヴェ−ル」でボ−ッと牧場のなだらかな丘を見ながらワインでも呑んでいると最高です。 毎度毎度、おきまりの長万部(おしゃまんべ)で「かにめし弁当」なんかをライダ−の兄ちゃんたちとワサワサせわしなく食っているのはけっこう疲れるんです。函館はいいんだけれど、途中の退屈さがなぁ…という今までのイメ−ジを打ち破る発見でした。 やっぱり海岸線関係は何かにつけて問題多いかな…とも思いました。北海道の中でも、いちばん遅れた北海道というか、いちばん旧態依然とした北海道なんじゃないですか。 ま、小樽に住んでて、こんなこと言うのも変だけれど、これからの北海道が変われるか変われないかの鍵は、私は「海」と見ましたね。 |
あまり言いたくはないけれど、この施設20か所の中の最低は「@小樽市にしん御殿」でした。行くのは始めてです。(普段こんなとこ行かないよ…) 御殿のある岬の近くに行くと、急に道が狭まってきて、市の現場職員風のおじさん・おばさんが出てきて、さかんに駐車場への指示を送って来るんです。ああ、ここで車は終わりなのか…、ここに車置いて、あとは歩きかな…と誰でも思います。でも、これ、ウソなのよ。ダマシなんです。 市の観光課の職員じゃなくて、ただの近くの浜茶屋のおじさんなんだよ、これが。自分ちの有料駐車場に車を誘導しているんです。 京都ナンバ−とか、所沢ナンバ−とか、札幌ナンバ−ですら、軒並みダマされていましたね。お金払って、とことこ御殿の丘まで登って行けば、「なんだぁ!無料駐車場あるんじゃないか」となるんですね。御殿のすぐ脇に、ちゃんと市の駐車場があったんです。 もちろん私は「後志の達人」だからダマされなかったけれど、こんな商売していちゃ駄目だよ!とは痛切に思いましたね。 気分は複雑です。古い北海道のダメなところが象徴的に現れている。こうやって、半分ペテンみたいな仕事で日々の小銭を稼ぎ安酒に酔っぱらっているような姿は、本当に今までの北海道経済の有り様を偲ばせます。でも、なんかなぁ…、これを数万倍の規模にして同じトリックで収奪をしてきたのは内地資本じゃないか…とも思うんですね。桁ちがいの規模でやれば、それは正義なのかよ!と。ひとり殺せば殺人罪だけど、いっぱい殺せば殊勲の軍人みたいな話です。 人に迷惑をかけない、きれいな生き方でありたいとは思うけれど、それを行うにはずいぶん俺たちは苦しい…という、なんか淵沢小十郎の世界になってしまいました。 |