メトロポリス
 
たるげい 2003年1月16日号
新谷保人
 
 

1.小樽・博覧会の時代
 
 今、市立小樽文学館にて、特別展『小樽・博覧会の時代』展が行われています。これは、過去、小樽で開催された5つの博覧会について、当時の資料を一堂に集め「博覧会」の博覧会を行おう!という粋な試みです。
 
(これに併せて、同館JJカフェの隣りでは「現代の博覧会」とでも言うべき、札幌の「レトロスペース坂」の展示品が一時的に小樽文学館の方に大集合しています。こちらもド肝を抜くコレクションです。文学館に行ったら、ぜひご覧ください。博覧会の熱狂が文学館内に木霊しあって、いや、大変なことになってます…)
 
 
 北海道大博覧会、全5回の内訳は以下の通り。
 
 @開道五十年記念北海道博覧会 第三会場・小樽水族館 (大正7年)
 A拓殖博覧会・小樽海港博覧会 (昭和6年)
 B北海道大博覧会 (昭和12年)
 C北海道大博覧会・小樽会場 (昭和33年)
 D'84小樽博覧会−新しい海のある生活都市へ (昭和59年)
 
 今の小樽の人たちで、記憶に残っている「博覧会」といえば、おそらくは、B「昭和12年」〜C「昭和33年」〜D「昭和59年」のどれかだと思います。現在、50歳以上の方ならば、たぶん「昭和33年」。70歳以上の年輩の方ならば「昭和11年」でしょうか。
 ただ、現在70歳以上の方々をしても、かろうじて小学生の子どもの時に親に連れて行ってもらった…という感じです。
 「昭和11年」の博覧会で、当時壮年だった、家族を連れて博覧会を観に行ったという方は現在90歳を越える方々でしょうから、この事実ひとつとっても、いかに「大博覧会」といった19〜20世紀的なイベントが私たちの周りから絶えて久しいかがうかがわれます。
 そう言われてみれば、日本国中を見ても、1970年に大阪で行われた「万博」以後、あまり大々的な博覧会の話って、聞かないですね。
 
 

2.龍宮閣
 
 いやー、何度見ても「龍宮閣」の写真は凄いですね。この、なにか得体の知れない熱狂(狂気?)というか、情熱というか、ただただ圧倒されるばかりです。
 

『小樽の建築探訪』より「龍宮閣」
 
 いちばん「大博覧会」的な物なのではないですか。つまり、「なんでこんなものをつくったのだろう?」とか、「誰がどうしてこんなものを考えたのだろう?」とか、もうただただその不思議さに単純に驚くしかない…という。「大博覧会」の最も根源的な部分を体現していると思います。
 
 そして、「龍宮閣」は別の意味でも「大博覧会」的。それは「もう、ない」というところです。
 もはや、空間の産物ではなく、時間の産物の方へ「龍宮閣」は次元を移動して行ってしまったのでした。小樽のオタモイに「かつて、あった…」という神話や伝説の時間の中へ移動してしまいました。
 
 たぶん、もう百年経てば、「マイカル」だって、小樽の伝説の時間に仲間入りしていることでしょう。22世紀、故老は語る。「昔、小樽の海岸に、今の札幌駅から大通り公園くらいまであるような巨大なデパートがあったんだよ…」。子どもたち、「えーっ、うそーっ!」てな調子で昔話に花が咲いていることのではないでしょうか。
 
 

3.北海道大博覧会
 
 昭和12年の北海道大博覧会では、「龍宮閣」は存在していました。今の「マイカル」のように。
 
 竣工が始まったのが昭和8年。翌9年にはオタモイ遊園地ともども建物が完成しています。『小樽の建築探訪』に建設中の「龍宮閣」の写真が載っていますけれど、いや、大変な工事ですね。建築資材は、冬に馬そりとトロッコで運び、足場丸太は艀(はしけ)で海から搬入したそうです。けれど、屋根ぶきをする板金職人は恐ろしがって誰も来てくれなかったとか。しかたなく大工さんが屋根ぶきも仕上げることになったそうですけれど、この仕事を請け負った大工さんがいたこと自体が奇跡に感じます。
 
 この「龍宮閣」、昭和33年の北海道大博覧会ではもう存在していませんでした。昭和27年5月の火事で焼け落ちてしまったのです。「龍宮閣」の隣にあった兄弟施設「オタモイ遊園地」や「庭園」も崖崩れであっけなく消えてしまい、ここに至って、今私たちが知っている「オタモイ海岸」の姿になってきます。
 
 
 
 今、オタモイ海岸に行くと、かつてここに「龍宮閣」があったという断崖絶壁の場所に、当時の土台部分の跡を見ることができます。もちろん立入禁止ですが、この子どもたちが立っている素堀のトンネルなどは当時のままに残っており、そこをくぐる時など、まるで『千と千尋』のように、このトンネルを出ると「昭和12年の小樽」が出現するのではないか…とさえ思わせる迫力です。
 
 
 
文学館のパネルに不思議な「小樽」を見つけました!
 
 
「雨乞滝」って、今でもあるのかな?
 
 
おお、「龍宮閣」だ…
 
 
 
 

4.昭和33年
 
 昭和33年。私、6歳です。フラフープの大流行。巨人の新人・長嶋茂雄が新人王に。川上哲治が引退した年。東京−神戸間に特急「こだま」が走り、東京タワーが完成した年。一万円札が現れ、正田美智子さんが皇太子妃になった年。つげ義春のマンガ『隣の女』に、千葉へヤミ米の買付に行くトラックの中で女の子が島倉千代子の『からたち日記』を歌う場面が出てくるけれど、その『からたち日記』がヒットしたのが、この昭和33年。
 ふーん、まだヤミ米なんかがあった時代なんだ… そういえば、売春防止法が施行されたのがこの年の4月1日ですからね。だから、この時代まで「赤線」というものも存在していたわけです。ヤミ米も赤線も、自分が生まれる前の時代でもうとっくになくなっていたものだと思っていたけれど、やっぱり6歳の子どもの記憶力というか、世界認識というか、そういうものは弱いですね。小さいですね。ごくごく限られた範囲の関係(家族とか遊んだ友だちとか)の中でしか生きていないことがよくわかる。
 
 しかし、だからこそ…なのだが、この私の記憶の中に「昭和33年の北海道大博覧会」の記憶が残っているということが、なにかとてつもないことのように思える。私、小樽に来ましたよ!あの、第一会場の船の模型の「進水式」、たしかに見た!
 当時、札幌に住んでいたから、記憶が中島公園会場のものとごっちゃになってしまって、さらに中島公園の思い出は円山動物園に連れてってもらった記憶とごっちゃになって(笑)、今までは、なんとなく、そういう(「雪まつり」ではないことははっきりしている)夏のイベントっぽいところへ連れて行かれたという記憶だけだったのだが。そうか…あれは、小樽だったのか。
 
 文学館では
B北海道大博覧会 (昭和12年)
C北海道大博覧会・小樽会場 (昭和33年)
D'84小樽博覧会−新しい海のある生活都市へ (昭和59年)
の各大会のニュース映像をビデオで流しています。これ、なかなかの感涙ものなのですよ。「昭和33年」なんか、私、3回も観ました。例の「進水式」模型。「南極探検」コーナー。祝津会場のタコの人形。昭和天皇の「研究」コーナー。「追分観光ホテル」。(←これが今の「展望閣」なのだろうか?それとも、その上にある心霊スポットとしても名高い廃墟の方なのだろうか?)
 
 記憶が混乱していたのは、小樽第一会場から祝津会場へ行くところが欠落していたからなのでしだ。そうか、船で祝津まで行ったんだ… 第三埠頭から遊覧船みたいな船を使って行くんだ。ビデオを見ていて、まざまざと思い出しました。バスや車で行く…って端から決めている(←こういうところが札幌の子ども)から、それにしては、そんなバスに乗った記憶はないので、やっぱりあれは中島会場かなんかのことだったのだろうとか思ってました。そうか、船ね…
 小学校以前の記憶って、やはり「学年」という目盛りがないせいか、いろんな記憶がごちゃごちゃに結びついて団子のようになっている。そういうものを解きほぐすきっかけを与えてくれた小樽文学館のビデオには、ほんと、感謝です。まあ、文学館にしてみれば、軽々とまた打ったイチローの内野安打…といった程度のことかもしれないが。