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啄木転々
 
 
小奴といひし女の
やはらかき
耳朶なども忘れがたかり
 


四月の函館
 
 

 「朝、鎌田君から十五円来た。…自分は直ぐ決心した。“函館へ行かう。”“さうだ、函館へ行かう。” 」(4月2日日記)

 というわけで、啄木は酒田丸で函館へ。よく人は、啄木は、北海道漂泊の一年間を切り上げて釧路から直接に東京へ舞い戻ったと誤解しますが、実際はちがいます。啄木の函館時代はじつは二回ある。そして、この明治41年4月の函館日記は、後の『一握の砂』アイデアがすでに発生している点でも注目です。つまり、「回想」という方法論。「東京」の地から「忘れがたき人人」を、「北海の三都」(なぜか釧路が入っていません!)を詠う…という新しい啄木スタイルが生まれた、またふたたびの函館の街。

 

 
 
啄木没後、釧路新聞社を訪れた金田一京助と小奴