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啄木転々
 
 
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 


十一月の小樽
 
 

 「(小樽日報)社は暗闘のうちにあり」(10月20日日記)。

 明治40年11月の啄木を表現するのにこれくらいふさわしい言葉はないでしょう。入社後五日目にして、すでに日記で主筆・岩泉江東の排斥を宣言した啄木。同じく啄木に連帯して江東失脚を画策する野口雨情。新聞記者としての自信をつけてくるにつれ、江東派と啄木派の争いもどんどんエスカレート。10月31日、「野口君遂に退社す。主筆に売られたるなり」。その啄木日記自体も、11月6日の「花園町畑十四番地に八畳二間の一家を借りて移る」という短い一行を最後に、あの有名な小林寅吉との事件を伝える12月11日までぷっつりと途絶えてしまうのでした。まさに「暗闘」。そんな殺伐の11月ですが楽しいこともありました。啄木が小樽にいることを知った少年ファンが花園町の家を訪ねたりしています。

 

 
 
左より高田紅果、松本清一、藤田南洋