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啄木転々
 
 
大川の水の面を見るごとに
郁雨よ
君のなやみを思ふ
 


七月の函館
 
 

 明治40年7月7日、妻の節子が長女京子を連れて玄海丸で来道。同日、あの「函館の青柳町こそかなしけれ…」と詠われた青柳町十八番地ラノ四号の新居へ入ります。翌、8月2日には老母を迎えに野辺地へ。4日に母とともに石狩丸で函館に戻りました。
 その後、小樽の義兄・山本千三郎方に寄宿していた妹の光子が脚気転地のため函館に出てきます。これで青柳町の啄木一家は五人の所帯になりました。でも、「六畳二間の家は狭し、天才は孤独を好む」なんて日記には書いていますね。平和で賑やかな家庭の様子が伝わってきます。

 

 
 
左より姉トラ、山本千三郎、妹光子