| 啄木が書いたものを真面目に読んだり調べたりし始めたのは四年前からだった。 私事だが、ちょうどその頃、勤めていた小樽の短大図書館を辞めた。図書館の仕事に愛着はあったが、赤字経営の回復をめぐって学校の新経営陣と図書館では考えが合わず、年間資料購入費がゼロ円になったことを契機に短大を辞めた。その、図書館がなくても済むような学校がどんなものであったかは、去年秋の「閉校」の事実が雄弁に語っているので、これ以上説明の必要はないだろう。 辞める前の一年間、啄木みたいに殴られたわけではないけれど、それでも、寅吉みたいな人間たちが醸し出す馬鹿馬鹿しさの飛沫は何度も肌に受けた。本当に、私にとっての小樽日報社だったと思う。 おそらく、私が啄木を読むモチーフの大部分は、その「小樽日報社」とは何だったのか?ということに尽きるように思う。啄木の書き残したものを読むことを通じて、自分にとって「小樽(の短大)」とは何だったのか?「小樽の図書館」とは何だったのか?「北海道(放浪)」とは何だったのか?ということが知りたかった。そして、私にとってのその大事な触媒が、伊藤整でもなく、小林多喜二でもなく、石川啄木であったのは、啄木が弱い人間であったからだと思う。 私には、啄木は、「学歴(盛岡中学退学)」というハンデキャップを生涯に渡って背負い続けた弱い人に見える。ただ、弱い人には弱い人なりのしぶとさというものもまたあって、私は、このハンデキャップを生涯一度も、小説にも日記にも書簡にも書き記さなかった啄木という人間の意地をたいへん好んでもいる。無職だった四年間の心中をじんわりと支えてくれたものは、こんな啄木の作品から伝わってくる矜持だった。また、啄木の、自らの愚かな過去を内省する強い能力にも学ぶところが多かった。啄木のパワーとは、この矜持と内省力の圧縮複合爆発であると思う。 |