第94回 小樽啄木忌の集い 講演
 
「小樽のかたみ」のおもしろさ
第6回
 
新谷 保人
(スワン社/「おたる新報」編集長)
 
 
新聞に対する批評は概ね好評たり。
小樽新聞は我が三面を恐ると、さもあるべし。
(啄木 明治四十年丁未歳日誌/十月二十四日)
 
 

1.「小樽のかたみ」とは?
 @小樽日報社
 A三面主任
 B明治四十年十二月十二日
 C「小樽日報と予」

2.小樽日報と釧路新聞
 @函館日日新聞〜北門新報
 A小樽日報
 B釧路新聞
 C東京朝日新聞

3.「小樽のかたみ」のおもしろさ
 @十月十五日・初号発刊
 A「手宮駅員の自殺未遂」
 B「昨日の初雪」
 C「お嬢様派出所を狙ふ」
 D「出没自在の美人」
 E「天下一品怪美人の艶書」
 F「雪の夜」

4.新聞記者・啄木
 @「東京スポーツ」
 A読者
 
 
 

 
 3.「小樽のかたみ」のおもしろさ
 
 E 「天下一品怪美人の艶書」
 
 「出没自在の美人」が散文詩ならば、さしずめ、この「天下一品怪美人の艶書」は、もうほとんど小説と言ってしまった方がいいような味わいの作品です。
 
 込み入った話ですので、少し章を追って解説します。まず、(一)章。
 
 大黒座の旅役者「稲葉喜久雄」。その稲葉に、「こん藤幸葉生(かふえふせい)」を名のる女より手紙が届きます。手紙は、あなた様に「したしく御目にかかつて御話を致し」たいとの熱烈なる艶書だった。いったい、幸葉生とは何者なるか? なかなか幸葉生の姿はつかめない。
 
 簡単に言ってしまえば、「天下一品怪美人の艶書」という作品は、このパターンの繰り返しです。
 (二)章に移っても、(三)章に移っても、延々と「幸葉生とは何者なるか?」の結びで、次回に続くというのがこの「天下一品怪美人の艶書」の基本構造なんです。いったい、そんな話の何がおもしろいの?と言われそうですが、これが、面白いんですよ、本当に。
 
 そのおもしろさの秘密は、艶書です。たぶん。
 稲葉に宛てた幸葉さんのラブレターが、あまりにもブッ飛んでいて、百年後の私たちにも、そのおもしろさがバーンと伝わってくるからです。
 
日夜の煩悶にて頭痛の為め乱筆平に御許被下度候
 わりなしや寝てもさめても恋しさか
    こゝろを何地(いづち)やらばわすれむ
喜久雄様誠に失礼で御座いますがあなたに奥様が御有んなしつて……
あのね、実際私かう毎日/\恋しいなつかしい、あゝ/\稲葉様に御目にかゝつて私の胸の中をよつく御話申上げて、さうして御許を得て召使なり下女なりにして下さいまして、私をあなたの御そばに置いて頂くやうにと毎日/\それ許り思ふて居りますの、だけれど私とても公然とは御目にかかる事の出来ません身の上に成つて居りますけれども、兎てもお目にかゝらずには居られません、此まゝ毎日煩悶して居りましたら私キツト病床の人になります、…… (幸葉 第四の文)
 
 ほんとに、啄木は、なんでこんなことを考えついたのだろう? 小樽日報社の机で、こんな幸葉さんの艶書を代筆(?)している啄木の姿を想像すると、なんか、可笑しいやら、悲しくて涙が出てくるやら、不思議な気持ちになりますね。
 しかし、この艶書のおもしろさだけで、毎回毎回、読者を引っ張って行く啄木の力量は、本当にたいしたものです。まさに、ことばの天才!
 
 (三)章までに届いた幸葉さんの艶書は、なんと五通。さすがに、これ以上は引っ張れないと観念したのか、啄木は(四)章に至って、ついに謎解きを始めます。しかし、その種明かしの語り口が、これまたもの凄いものなんですね。こんなです。
 
 水茎の跡こまやかに情を籠めて俳優稲葉を口説き落さむとしたる匿名の怪美人が、日に二度づゝの矢文に猶物足らぬ気なりし執心の廿四、五日の両日は涼風のそよとだに音信もなく過したる其裏面の真相如何。話変つて当区相生町二十八番地に信善屋と云えば誰一人知らぬ人もなし。
 
 「水茎の跡こまやかに」で、いつもの名調子が始まるのかと思ったら、いきなり「話変つて当区相生町二十八番地に信善屋」ですからね。びっくりしてしまいます。(カッコいいけれど…)
 
 まあ、こういう急ブレーキが許されるのは、この当時、「信善屋」の名前を聞けば、小樽の人なら誰でも「ああ、あの事件ね…」と思い当たる節があったからです。小樽の街を騒がした「佐藤ムラ」の事件。
 明治40年11月17日の北海タイムスの記事「怪美人の凄腕」を配布資料に載せました。これは実際にあった事件です。
 簡単に要約すると、妖婦・佐藤ムラが南廓の鯉川楼主人・八木周蔵をまんまと騙して三百円を捲きあげ情夫とどこかへ高飛びしてしまったという事件ですね。
 好色漢・八木周蔵の妾になるという約束で、ムラは花園町に家を構えさせ、高価な家財道具やお召しも買い揃えさせた。その金額、三百円。で、八木周蔵、ウキウキとその花園町に出かけてみれば、家はもぬけの殻。猫の子一匹、居りはしなかった…という事件です。
 まあ、直球の三面記事ではありますね。
 
 この(四)章で、啄木は、とうとう「幸葉生」は「佐藤ムラ」であることを明らかにするわけですが、その書き方がおもしろい。
 あれこれ、「佐藤ムラ」の事件を、北海タイムスの記事と大差ない筆致(私は本気でこれはタイムス記事のパクリではないかと思っていますが…)で書いた後、啄木自身が、
 
…[今回の事件の]前後の事情は過日某新聞に依りて剔抉されし処なれば…
 
なんて書いていますね。他人の記事をパクっておいて、いい気なもんです。
 
 ただ、啄木は、自信があるのですね。どう見たって、おれの書いた「佐藤ムラ」の方がおもしろいだろう!と。
 
 そして、たしかにそうなんです。北海タイムスなら、ただ一日分の三面記事でしかありません。ありふれた街の事件でかない。
 でも、ここに、啄木ワールドの数式を導入すると、俄然、凡庸な三面記事が、本当に「天下一品怪美人の艶書」に変身してしまうのですね。
 
 啄木のやった魔術とは何か?
 
 それは、素直に「佐藤ムラ」の事件を書かないこと。一度、読者の視線を「幸葉生」などというとんでもない場所に飛ばしてしまいます。そして、「あゝ/\/\稲葉様」ですからね。これに惹きつけられない読者はいません。
 そして、「いったい幸葉生とは何者なるか?」で目いっぱい読者を煽ります。
 
 そうしておいてから、やおら「幸葉生」の種明かし。この謎の「幸葉生」が、じつは、あの有名な「佐藤ムラ」だったんだよとやるわけです。
 
或時は処女の如く或時は芸妓の如く、又或時は淑徳なる夫人の如く、変現出没実に端睨すべからざる美人ムラや実に怖るべき妖婦なり。
 
 ものすごくクドい演出だ。
 で、面白いのは、この後の啄木の展開なんです。普通、犯人の姿が割れてしまえば、もうこの話はお終い、最終回…となるわけでしょう。
 でも、啄木は、それをやらないんです。なんと、またもや「幸葉生」話を再開してしまうのですね。「幸葉生とは何者なるか?」で、まだまだ読者を引っ張るつもりなんです。啄木は…
 
 第(五)章冒頭で、なぜ「妖婦ムラ」は二十四、五日に動けなかったか?それは、その二日間「鈴木次郎」の宿にいたからさ…といった事件との日にち辻褄合わせをチョッチョッとやった後は、またいつもの名調子が始まります。
 
あゝ/\/\若し斯くの時には私の命を犠牲にいたしても必ず/\此恋は為遂ぐる事に致すべく何とぞ/\御しいもじ下されて樽新のはがき集にて御返事被下候様神かけて念じ上まゐらせ候、
 
 またかよ…とも思うのだが、言葉の調子や歯切れがいいものだから、つい読んでしまいます。なんとも面白い技を編み出したものですね。
 啄木の借金依頼の手紙というのも、相手にあれこれ考える暇を与えずパタパタッと畳み込む手口がもの凄いものなのですが(おそらく、これに抗って金を出さないで済む人ってなかなかいないと思います)、あれに匹敵するような技ですね。
 「一大決心いたすべく…」なんて書かれると、私なんか、あっという間に持って行かれます。
 いつでも始められるし、いつでも止められる。単純な三面記事をここまで膨らませることができる…変な技ですねぇ。
 
 こんな、いつまでも続くのか…と思われた「天下一品怪美人の艶書」ではあるのですが、第(七)章に至って、事態はアレレッ…と思う急展開。最終回になります。突然、「三週間は過ぎぬ。」ですからね!たまりません。
 
「(ムラは今)八木ならず鈴木ならず、況んや稲葉にあらぬ或お方と忌はしの関係睦じく…」でお(終)いなんです。
 
 今度はまた、なんでこんなにあたふたと終わりにしたのだろうか?
 
 

(次回「3.小樽のかたみのおもしろさ」は、12月15日発表予定)
 
配付資料
■「小樽のかたみ」抄 新谷保人編 (スワン社,2006)
■「小樽日報」「小樽新聞」明治40年10月24日・三面コピー(縮小)
■「北海タイムス」明治40年11月17日記事「怪美人の凄腕」
■荒木茂編著『小樽日報記者 石川啄木地図』(1990.4発行)
 
主な参考文献 (※すべて市立小樽図書館所蔵)
■マイクロフィルム「小樽新聞」明治40年10〜12月
■北海道樺太の新聞雑誌 □刀(くぬぎ)真一 (北海道新聞社,1985)
■星霜 北海道史1868―1945 (北海道新聞社,2002)
■啄木・釧路の七十六日 宮の内一平 (旭川出版社,1975)
■朝日新聞社史 明治編 (朝日新聞社,1990)
■回想の石川啄木 岩城之徳編 (八木書店,1967)
■二葉亭四迷の明治四十一年 関川夏央 (文春文庫,2003)
■石川啄木の「小樽日報」記事ノート 荒木茂 (北海道自動車短大研究紀要・第13号,1987)
■「小樽のかたみ」について(一) 荒木茂 (北海道自動車短大研究紀要・第13号,1987)
■小樽日報記者石川啄木地図 荒木茂 (北海道自動車短期大学,1990)