第９４回 小樽啄木忌の集い 講演

　

「小樽のかたみ」のおもしろさ

第５回

　

新谷 保人

（スワン社／「おたる新報」編集長）

　

　

新聞に対する批評は概ね好評たり。

小樽新聞は我が三面を恐ると、さもあるべし。

（啄木 明治四十年丁未歳日誌／十月二十四日）

　

　

　

　

　

　３．「小樽のかたみ」のおもしろさ

　

　�C 「お嬢様派出所を狙ふ」

　�D 「出没自在の美人」

　

　時期的には、主筆の岩泉江東が解任された明治４０年１１月１６日あたりを境にして…ということになるんでしょうか。啄木の書く新聞記事が少し変わってくるのです。

　

　どんな風に変化したのか？　それは例えば、１１月に入ってから、１１月７日号の「お嬢様派出所を狙ふ」のような記事がポコッと生まれはじめるのです。

　

　「お嬢様派出所を狙ふ」。丸和乾物店の真面目な器量好し娘だったおうめが、最近ちょっと変。化粧も濃くなり、態度も悪くなった。父親が探ってみれば、案の定、色内南巡査派出所の某巡査と男女の仲になり、通っていた夜学校もサボって遊んでいる始末。もはや父親の意見も聞かず、どうしてもあの人と添い遂げるのだと、今日もお嬢様は二百三高地（当時流行った髪型）を振り立てては派出所の前を行ったり来たり…というのが、「お嬢様派出所を狙ふ」なんですが。

　

　困ってしまいますよね。いったい、これの、どこが事件なんだ！と怒ってしまいそうです。何か事故が起こったわけでもなければ、誰かが被害にあったわけでもない。ただ、お嬢様が派出所の前を行ったり来たりしているだけの話なんですから…

　

　おそらく、今、私がこういう記事を書いたら一発でボツでしょう。二度と新聞記者としては使ってもらえないかもしれない。

　でも、実際に、今、ここで「お嬢様派出所を狙ふ」を読んでいる皆さんは、あまりそんな風には感じなかったと思います。かえって、なかなか面白い新聞記事じゃないか！くらいの感想を持たれた方もいらっしゃるかもしれませんね。明治も、平成の世の中も、そんなには変わってないなぁ…とか。

　ここが、啄木の新聞記事の大きな秘密なんです。文章の内容自体は全然たいしたことない。意味もない。でも、啄木は、この他愛ない文章を言葉やレトリックの面白さで引っ張って、結局、最後まで読ませてしまうんですね。華麗な啖呵バイで、原価十円のバナナを百円で売ってしまうような大道芸にちょっと似ています。

　

　私は、啄木の「やおい」記事の系列と読んでいます。「やおい」というのは、現代のマンガ同人誌オタクの世界で使われている隠語です。あるジャンルのマンガをさして、「山ナシ、落ちナシ、意味ナシ」を略して「やおい」とバカにするのですが。

　別に私は啄木のこの新傾向の新聞記事群を貶すつもりは全くないのですが、ただ、あまりにも「やおい」の言葉が、この啄木の新境地を言い当てているので暫定的に便利に使っているわけですね。他に適切な言葉があれば、そちらに従います。

　

　どうして啄木はこういう作風の三面記事を始めたのか？

　たぶん、そこには、１１月１６日の岩泉江東の解任が関係しているのではないかと思います。あと、それと、半月前の野口雨情の退社ですね。いがみ合っていた小樽日報社の二つの派閥のボスが相打ちみたいな形でどっちも社を退いたわけです。

　啄木が「社は暗闘のうちにあり」と形容した日報社ですが、両派のボスがいなくなったことで一転無風状態になってしまったのではないか。そして、残っているのは啄木ひとりですから、暫定的に、啄木が小樽日報発行を仕切るような体制ができ始めていたのではないかと想像します。

　その動きに伴い、たぶん、この啄木「やおい」ワールドが頭をもたげてくるのです。

　それは、まさに急成長。「お嬢様派出所を狙ふ」でポッと生まれた世界は、１１月２６日号の「出没自在の美人」と、同２７日から開始される「天下一品怪美人の艶書」で一気に完成された世界を構成するに至ります。

　啄木は、この日が来るのを秘かに待っていたのではないでしょうか。なにか、言葉のパワーとか美しさが尋常ではないような気がするのです。

　転がり込んできたラッキーというよりは、前々から狙っていたチャンスを一発でモノにした！という印象を受けます。

　

　それくらい、「出没自在の美人」の美しさというのはただ事ではない。

　

何の妖術を心得てか雲の如く現はれ雲のごとく隠れ、住家は鞍馬の奥とも裏長屋の魔屈とも知れぬ出没自在の女あり。

　

　カッコいいイントロですね。「出没自在の美人」は、啄木の書いた新聞記事の中でも群を抜いて言葉のリズム感がよいのですが、さらに、その言葉には小樽独特のタームが満載状態ですから、声に出して読んでいると、ちょっと身体が震えてくるような感じになってきます。例えば、こういうフレーズ、

　

何の為めに訪ねて来るやら元より其目的知る由なけれど、或処へ行きては札幌高等女学校補習科の生徒なりといひ、又相生町赤木病院の看護婦なりと云ひ触し、別の処では今度量徳女子小学校の教員に採用される事になつたなどと根も葉もない嘘を吐き、更に滑稽極るは妾は金子代議士の弟の息子の家妻で御座いますなどと吐すに至つては最早手のつけ方もない話しなり。

　

　「量徳女子」は今の双葉中学、昔の住吉中学校です。「金子代議士」は第１章でお話しした金子元三郎。「北門新報」の創始者、初代の小樽区長です。本当に、このような、小樽人が喜んでしまうような言葉がポンポン飛び出してくる、なんか散文詩のような味わいさえある新聞記事ですね。

　

　小樽の街を描いた作品は、明治から今の平成まで数多くありますけれど、私は、それらの中でも、この「出没自在の美人」がいちばん好きですね。いつまでも、こんな、ちょっと怪しい、でも美しい小樽であってほしいと思います。

　

　

（次回「３．小樽のかたみのおもしろさ」は、１１月１５日発表予定）

　

配付資料

■「小樽のかたみ」抄　新谷保人編　（スワン社，2006）

■「小樽日報」「小樽新聞」明治４０年１０月２４日・三面コピー（縮小）

■「北海タイムス」明治４０年１１月１７日記事「怪美人の凄腕」

■荒木茂編著『小樽日報記者 石川啄木地図』（1990.4発行）

　

主な参考文献　（※すべて市立小樽図書館所蔵）

■マイクロフィルム「小樽新聞」明治４０年１０〜１２月

■北海道樺太の新聞雑誌　□刀（くぬぎ）真一　（北海道新聞社，1985）

■星霜　北海道史1868―1945　（北海道新聞社，2002）

■啄木・釧路の七十六日　宮の内一平　（旭川出版社，1975）

■朝日新聞社史 明治編　（朝日新聞社，1990）

■回想の石川啄木　岩城之徳編　（八木書店，1967）

■二葉亭四迷の明治四十一年　関川夏央　（文春文庫，2003）

■石川啄木の「小樽日報」記事ノート　荒木茂　（北海道自動車短大研究紀要・第１３号，1987）

■「小樽のかたみ」について（一）　荒木茂　（北海道自動車短大研究紀要・第１３号，1987）

■小樽日報記者石川啄木地図　荒木茂　（北海道自動車短期大学，1990）