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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



一月の京極
 

 小惑星「京極」を発見したのは1988年1月の事でした。1987年より釧路の上田清二さんとコンビを組んで新しい小惑星の発見に取り組んでいました。空の良い天体観測に適した釧路で写真を撮ってもらい、札幌の私がその写真(ネガ)をチェックし、新しい小惑星を発見しようというものです。
(京極町史追補/金田宏「小惑星・「京極」の発見」)

 「京極町史」の追補版にちょっと市町村史には珍しい一文があって、いつか紹介できたらなぁと思っていたのです。やっと、その日が来た…

 小惑星というのは火星と木星の間にあり、大昔に大きな惑星がコナゴナになった破片と考えられています。(しかし余り良くは分かっていないのが実情です) 従って大きなものから小さなものまで沢山あるのですが、大きなものでも直径は1000km程度、最近発見されるものはだいたい数km以下のものがほとんどのようです。
 これ位の大きさになりますと肉眼で見てみつけるのは不可能で、望遠鏡にカメラを取り付けて撮影し、僅かな動きを検出して小惑星かどうか判断するのです。小惑星はどれも暗いので、それまではプロの観測者の仕事と考えられていました。しかしフィルムの改良とコンピューターの発達のおかげでアマチュアにも発見が可能となったのです。

 1988年。(平成元年ですね…) 16ビットから32ビットパソコンへの移行が完了したくらいの時代だったろうか。いや、まだ、8ビットから16ビットへの時代か。
 小惑星は、発見されるとすぐに登録されるというわけではないようですね。小惑星は数が多いので、それを区別するにはかなり長い間の観測が必要と金田さんは言っています。一般には、発見時以外の年に3回以上の観測がある事が条件と。
 小惑星が正式に番号登録されますと、通常はその発見者に名前を付ける権利が与えられます。小惑星を発見する魅力、楽しみとは、つまり、小惑星に自分の好きな名前を付けられるということに集約されるわけです。そして、金田さんと釧路の上田さんのコンビに、ついにその日がやってきます。

 しかしどうやら今までの努力が報われる時が来たようです。87年10月に撮影した写真から一気に大量16個の新しい小惑星が発見されたのです。最初の一つ目を発見した時は本当に嬉しかったです。そして私達のこの小さな望遠鏡でも発見できるんだと、ほっとしました。(中略)
 そしてその中の11番目に発見された小惑星は過去にも何度か観測されている事が判明し、ついに3720番として登録されました。
 北海道どちらかというと天文は盛んな方ではなく、今まで新天体というものは一つも発見されたことはありませんでした。つまり今ここに私達が発見し、3720番として登録された小惑星こそ、北海道での最初の新天体の発見となったのです。私達はもうほとんど迷うことなく、この天体に「北海道」という名前を付けました。

 ふーん、こんなに夜空が美しい北海道なのに、天体観測は盛んではないなんて、じつに意外な話ではありますね。この冬空の中に「北海道」という名の小惑星があるんだ…というのがなんとなくうれしいです。さあ、さて、小惑星「京極」。

 この小惑星は2月末まで何度か観測し、その結果、1981年と1986年にも観測されていた事が判明しました。しかし登録には未だ不十分なため、この年には登録はされませんでした。
 この小惑星は翌年1989年の4月から5月にかけても地球に接近し、明るくなる事が分かっていましたので、私達は登録の為の最終的な観測を行う事にしました。
 1989年4月6日から翌5月25日までの5夜に渡り観測を行い、軌道が確定した事が認められ、4127番という登録番号が与えられました。
 私達としては先の3720番「北海道」以来、4個目の登録となりました。上田さんとは以前から今度は自分達の生まれ故郷の名前を付けたい、と相談していましたので、3番目の4096番には「釧路」を、そして今回の4127番には「京極」の名前を付けて申請しました。

 おめでとうございます。そして、ありがとうございます。今夜の冬空にも「京極」という名の星が浮かんでいるんだ…
 天文少年・金田宏の誕生は、恐る恐る両親にねだって買ってもらった天体望遠鏡。今となっては小さな望遠鏡でしたが、少年の天文への夢を何倍にも何十倍にも大きく育ててくれました。やがて自分で望遠鏡を作ることも覚え、倶知安高校生の頃からは新しい彗星を発見することに生き甲斐を感じるようになっていったといいます。
 現在のコンピュータ関係の仕事も、やはり天文が由来。高校生の頃から天体の軌道計算にも興味を持ちはじめたのですが、軌道計算こそはコンピュータの独檀場。そのコンピュータを使いたいという一心から、ついにコンピュータの技術者になってしまいました。
 しかし、金田さんの文章を読んでいると、天文少年を生み出した最大の原因はこれなのかな…と私は思えてならないのです。

 私は現在、札幌に住んでおりますが、良く晴れた夜でも星は数える程しか見えません。時々両親の住む京極へ帰省しますと、京極でも星空は本当に凄いと感じます。私はなる程、そうだったのか、と思います。
 つまり私が星を好きになったのは、この京極の素晴らしい星空があったからなのだと。恐らくは私が札幌に生れたのなら、生涯をかけて天文に打ち込むことはなかったと思います。
 私を育んでくれた京極、この素晴らしい星空の京極に感謝せずにはおれません。できる事なら未来の人達にも、この素晴らしい星空を、この素晴らしい自然を残しておいてもらいたいものと思います。