Welcome to SWAN 2001 Homepage


 
 
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



一月の小樽 (一)
 
 

久津さんに向き直り、人数分の湯飲みを持ってくるように頼む。わたしは秋津都子、二十三歳だが、もはや秋津都子ではなく、もはや二十三歳ではない。いまはつねにもがき、ここでただすすり泣くばかりだ。阿久津さんが湯飲みを十六客、盆に載せて運んでくる。わたしは内山祐子、二十三歳だが、もはや内山祐子ではなく、もはや二十三歳ではない。いまはつねにもがき、ここですすり泣くばかりだ。犯人は第一薬と記された小さい方の瓶の蓋を開ける。わたしは沢口芳夫、二十二歳だが、もはや沢ロ芳夫ではなく、もはや二十二歳ではない。いまはつねにもがき、ここでただすすり泣くばかりだ。犯人は全員そろったかどうか尋ねる。わたしは加登テル子、十六歳だが、もはや加登テル子ではなく、もはや十六歳ではない。いまはつねにもがき、ここでただすすり泣くばかりだ。支店長代理が人数を数えてうなずく。全員いる。わたしは滝田哲芙、四十八歳だが、もはや滝田哲夫ではなく、もはや四十八歳ではない。いまはつねにもがき、ここでただすすり泣くばかりだ。犯人は短剣を構えるようにピペットを手にする。わたしは滝田隆子、四十九歳だが、もはや滝田隆子ではなく、もはや四十九歳ではない。いまはつねにもがき、ここでただすすり泣くばかりだ。犯人は透明な液体をそれぞれの湯飲みに垂らす。わたしは滝田孝代、十九歳だが、もはや滝田孝代ではなく、もはや十九歳ではない。いまはつねにもがき、ここでただすすり泣くばかりだ。犯人がわたしたちにそれぞれの湯飲みを取るように言う。わたしは滝田吉広、八歳だが、もはや滝田吉広ではなく、もはや八歳ではない。いまはつねにもがき、ここでただすすり泣くぱかりだ。それぞれが湯飲みを手にする。ここで灰色の中にいるわたしたちだ。犯人が手を上げて制する。わたしたちは、つねに、すでにもがいている。犯人がわたしたちに説明する。薬の作用が強力で、歯のエナメル質と歯茎を傷めるおそれがあるから、自分が飲むところをよく注意して見て、同じようにして飲んでください。わたしたちは、つねに、つねに、ただす
(デイヴィッド・ピース「占領都市」/一本目の蝋燭)

 凄いや。昭和23年1月26日午後3時半、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店で発生した所謂「帝銀事件」を、こんな表現で書くんだね… いや、凄い。八十頁一枚を丸写ししてしまった。現代詩の素養でもないと、なかなかこの手の本を読み通すことはむずかしいかなとも思ったり、二十一世紀の今なおインパクトを保有している「帝銀事件」であるからには、人は案外難なく結末まで行けるだろうと思ったり。「TOKYO YEAR ZERO」三部作の第二弾。第一弾が「小平事件」。第二弾がこれ。第三弾には「下山事件」が予定されているそうです。
 日本の黒い霧。これら、敗戦直後の日本で起こった事件に衝撃を感じない日本人はいないと私は思っています。事件当時、この世に生まれていなかった私でさえ、これらの事件に衝撃を感じない日本人はいないと思っているのです。

 刑事がわたしの目の前に紙を置いて言う。「よく見てください、共同通信名古屋支局から電送された容疑者の写真です……」
 わたしは目の前の紙を見て、彼がここへ来て、ここから連れ去ってほしいと念じながら、首を振って言う。「犯人がみんなの湯飲みに毒を入れ始めたとき、わたしは顔をじっと見ていました。あの顔は忘れません。
 どこにいてもわかります」
 「そうでしょうとも」彼らが言う。
 「でも、この顔ではありません。あの男の顔ではありません。残念ですけど」
 刑事は紙を引っ込めて言う。「お手間を取らせました。車でお送りします」
(同書/三本目の蝋燭)

 そして、手法。日本人が大好きな芥川龍之介「藪の中」の大技がここで出てくるのか!と度肝抜かれました。一本目の蝋燭、事件で命を落とした犠牲者たち。生き残った女性。事件を捜査する二人の刑事たち。アメリカとソヴィエトの調査官。新聞記者。素人探偵。ヤクザから政治家へと成り上がった男。犠牲者の母親たち。逮捕された平沢貞道。そして、真犯人。十二人の登場人物たちが、十二の解釈を物語る。ジョイスやパウル・ツェランやゴーゴリやタルコフスキーの尖った言語感覚を伴って。それは、たとえば、獄中の平沢貞道。

 邪悪で不道徳な人間。
 多くの親切な人々がわたしの無実を信じてくれているのはわかっている。多くの人々がわたしの汚名をそそぐため、死刑から救うために粘り強く活動してくれているのもわかっている。そうした人々も、わたしの次のような言葉を知れば困惑し、さらには腹を立てるかもしれない。しかし、告白せざるを得ない。
 わたしはあきらめて運命を受け入れる。
 わたしは帝銀事件に関しては無実だが、他にあまりに多くの罪があるからだ。妻に対する罪、子供たちに対する罪、彼らの心に対する罪。そして、わたしは自分が死に値すると本心から思っている。わたしの悪行、わたしが家族に与えた大きな苦痛、わたしがついた嘘。すなわち、わたしが送ってきた人生のゆえに。
(同書/十本目の蝋燭)

 十一本目の蝋燭は、さらに怖い。日本に生まれるということ。日本人としてこの世に生まれることの衝撃が私にも伝わってくる。そして、いつも、私の想いは十本目の平沢にたち戻る。北海道小樽という、内地ではない街に生きた男は何の邪悪や不道徳をおのれにくだしたのか。

 しかしこれらの言葉を口にしたのは、わたし自身のためではない。これらの言葉は、かつてわたしを愛していた人々、かつての妻、子供たちのためにある。わたしは読者の哀れみを求めていないからだ。真実も求めていない。わたしは読者の哀れみに値しないからだ。真実に値しないからだ。
(同書/十本目の蝋燭)