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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



一月の札幌
 
 
 
札幌−冬の愉しみ
中野美代子
 

 札幌の冬といえば、内地(いまはあえてこう言いましょう)の人には想像もできない辛い生活に満ちているはずです。厳寒、雪かき、せまい滑りやすい道路、石炭や野菜の確保等々。大抵の内地人は、二、三年もすればこうした生活に音をあげて暖い故郷をなつかしむようです。
 でも、私にとっては、札幌こそが故郷なのですし、だからこそ、最も札幌らしい冬の季節を愛しています。私の愛し方は大変気ままでありまして、勇ましくスキーをかついで近郊の山をすべりまわる時の、あの胸のすくような豪快な気分で愛するといった、積極的な愛し方をすることもあれば、雪降りしきる深夜の窓をそっとのぞくだけで満足することもある、といった具合です。どちらにしても、「札幌よ、お前を愛しているぞ」と腹を決めさえすれば、札幌の冬は、私たちに無上の愉しさを与えてくれるのです。
 
 
 
(本郷新/牧歌の像)
 
 
 
 まず何と言っても、スキーが手軽にできる愉しみを挙げましょう。しかし、こればかりは各人各様の好みによりますから、いまはあえて言いますまい。
 そこで、ごく普通の、そこらの街の中に愉しみをもとめようというわけです。街の中での愉しみは、雪降りしきる夜の散歩に限ります。なるべくなら一人でゆっくり歩くこと。急ぎ足の人ぴとを尻目に、街角に立ちどまって暗い空を見上げてみましょう。黒い天空一面に粉雪が無限に発生し、音もなく地上に舞い落ちる。見ているうちに、こっちが天上に向かって昇っていきそうた甘美な錯覚が湧いてきます。ふと我に帰れば、そのような雪路にラーメソ屋の例の匂いが漂うのです。その、いかにも安っぽい香りの誘惑に負けるのもまた愉しいものです。暖簾をくぐる前に、大抵の人は雪を払うため全身を上下に大きく振るようです。これは、明らかに、札幌の庶民がいつの間にか身につけた画一的な運動方式でありまして、私もまた、いささか大げさにその動作を繰りかえして屋台に入るのです。
 または――一目散ににストープのあかいわが家をめざすという手もあります。それが、北欧風の豪奢な煖炉でなくとも、室温が三〇度にはなろうというほど燃やす札幌児は、ルンペン・ストーブの景気のよい音に魂をうばわれるのです(追記…現今では、より手軽な石油ストーブやセントラル・ヒーティングが流行し、石炭や薪のストーブの素朴な味わいに乏しくなった)。気のきいた人なら、そのような室内で、日本酒よりもビールをもとめることでしょう。何でもけっこう。冬の夜の暖い室内では、誰でもが王者のように尊大になれるのです。蒸暑く寝苦しい夏の夜を想い出してごらんなさい。輾転反側、裸になってあえいでいるのは、どう見ても奴隷の姿ではありませんか?
 
 
 
(佐藤忠良/リカ・立像)
 
 
 
 さて、札幌の冬は、皆が沈欝な思想家になれる季節でもあります。猛吹雪の日、首を縮め風雪に抗いながら歩いているのは、愉しいどころか、いやはや、大変な辛さなのですが、その欝屈した姿勢の下に、激しい自然にうち克とうとする自分を見出せば、おのずと、まるでシペリアの流刑地に流されたドストエフスキーにでもなったような錯覚がめぐるはずです。その種の錯覚は、大抵は、卑屈で臆病な一市民であることへの自省に連なりながらも、どこかに、薄い皮膜のようにへばりつき、粘着力の強い鈍重な思考を育ててくれるらしいのです。
 ところで、私はもっと明快な愉しさについて語るつもりでした。たとえば食べることの愉しさ。――札幌の食べものは、たしかに粗雑でまずいのですが、それに馴れていくうちに、ストーブの上でグツグツ煮たつ鍋もの料理や、一杯やりながらむしる干魚などは、たちどころに、私たちを盲目な胃袋にしてしまうのです。関西風の「小味」を心静かに賞味できるほどの歴史を持たない札幌人は、こうした大まかな食欲とカロリーで、厳寒に耐えるエネルギーを吸収しなければなりません。それは、これまた大まかに熱量を発散するストーブと相俟って、札幌の冬の味覚として定着したのでありまして、内地人の「札幌人は味を知らない」という嘲笑をふっとばしているのです。
 
 
 
(本郷新/泉の像)
 
 
 さて、そしていま、札幌人は「雪まつり」で大さわぎをしています。これだって、いささか愚かしい商業主義に堕落はしているのですが、直きに融けてしまう雪で「芸術」のまねごとをしようという可憐さは、たしかに札幌、冬の愉しみの最たるものには違いありません。終戦後まもなくの何の愉しみもなかったころ、庁立札幌高女の中庭に、美術部の仲間たちとマイヨールの、「地中海」の雪の模像をぶったてた経験のある私は、目下のお祭りさわぎを感慨ぶかく眺めてい手。そして、もっと記憶を遡らせれば、札幌一中(現南校)の校庭にくりひろげられた雪戦会の、軍国主義臭ふんぷんたる野蛮さがたまらなくなつかしく思われるのです。
 
 
 
 
(テキスト/日本随筆紀行2「北の街はリラの香り」)