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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十一月の小樽 (二)
 
 

 「しづ子さん!」
 坂を下り切ったところで、しづ子は突然名前を呼ばれて慌てた。
 「えっ?」
 振り向くと、自転車を引いた池田が立っていた。
 「どうしてこんなところに?」
 「それを聞くなら僕のほうじゃあないか。どうしてあなたが小樽に? ご主人も一緒?」
 しづ子は、曖昧に笑った。
 「いいえ、一人よ。ふらっとね、小樽って街に来たくなって……。でもまさか、こんな場所で、自転車を引いた池田さんに会うなんで、思いもしなかったわ」
 「僕のほうこそ。さっき、坂道を猛烈な勢いで追い越した瞬間に、あっと思ったんだ。しづ子さんによく似ているなあ、って。でもあの急な坂だからブレーキも間に合わなくて……。それで、ここで待ち伏せさ」
 池田は、卒業して府中から去った時よりも明るく、学生の頃のような元気な表情を取り戻していた。
 「何通も手紙の返事をありがとう。お陰で寂しくてたまらない時間を、何とか乗り越えることが出来た。感謝しています」
 「改まっておかしいわ。私のほうこそ、嬉しかったわ。やさしい手紙。とても心が癒されました」
 その手紙が原因で離婚した、などと口が裂けてもしづ子は言えない。
(江宮隆之「風のささやき―しづ子絶唱」)

 びっくりしたなぁ、もう…
 以前、鈴木しづ子のことを書いた時、引用した「札幌」のエピソードがぎりぎり、しづ子と北海道の接点だとばかり思っていたけれど、こうも簡単にしづ子と「小樽」が重なり合ってしまうと、こっちの方が慌ててしまう。何事なんだ…

 初めての街を、しづ子はゆったり歩いた。東京にいた時のような慌ただしさはなく、時間もしづ子のうえをゆっくり通り過ぎていった。
 「同じ時間なのに、どうしてここではこんなにゆったりしていられるのかしら」
 しづ子は、時の不思議さを思った。
 小樽は坂の多い街であった。しづ子は、名前も知らないままそうした坂を上り、下った。
 歩いて汗ばんできたので、黒いセーターを脱ぎ、ブラウスの上からランドセルを背負うように掛けた。両腕の部分を首に巻いた。ハンカチを出して汗を拭き、目を細めて坂の上から港を見た。幾隻もの大型貨物船が入港している。
 貨物船の汽笛が時折鳴って、異国情緒を誘った。
 「外国にいるみたいだわ」
 しづ子は、次第に小樽が自分の性に合うような気がしてきた。
 「こんなところに住めたらいいな」

 いやー、どうしよう… 鈴木しづ子と小樽なんて、こんなに大胆に書いていいのかい?

 宮沢賢治の資料を集めていて、ふと、江宮隆之著「二人の銀河鉄道」のとなりを見たら、この「しづ子絶唱」のタイトルが目に飛び込んできたのでした。江宮隆之。著書を見ると、「二人の銀河鉄道」の他に、「一葉の雲」、「井上井月伝説」、「凍てる指」など。この「凍てる指」の発展形が「風のささやき―しづ子絶唱」なのですが、なんか、私のレバートリイに微妙に重なっているのが面映ゆいです。

 で、どうしようかな… このまま「風のささやき」を引用し続けるのも無粋だし。でも、なぜ「小樽」なのか、なぜ「十一月」なのかを書かないと、この文章も成立しないし…
 妥協して、「風のささやき」の江宮さんのアイデアについて、私の感想を仄めかすにとどめます。あくまでも小説なんだし、あの「赤い靴」のインチキ野郎みたいな悪意は感じないし、こういう「しづ子」解釈があってもいいとは思っています。

 ダンサーになろうか凍夜の駅間歩く  しづ子

 問題は「群木鮎子」。(あの鮎子の有名な句は、ちょっと恥ずかしくて書けません。で、「ダンサーになろうか…」でお茶を濁しました) 群木鮎子にしづ子の面影を見た人って、思った以上に多いんだなあ。昨日の朝刊に、同じ「ダンサー」つながりでこんな記事が載りました。

 「キャバレー現代」解体
 小樽 市内移築、時期は未定
【小樽】 終戦直後から1999年まで半世紀にわたり営業していた小樽市稲穂2の「キャバレー現代」の建物が移築されることになり、解体工事が始まった。店を経営していた札樽観光(札幌)が小樽市内の別の土地で活用を探る。
 同店は1909年(明治42年)に建てられたニシン漁の網元宅を改装し、終戦直後、進駐軍専用のビアホールとしてオープン。49年にはキャバレーになり、地元の名士が集った。全盛期には約50人のホステスが働いていたという。
 だが、99年夏、赤字経営のため、惜しまれながらも閉店。現在地で飲食店として再出発する計画も具体化しなかった。(後略)
(北海道新聞 2012年10月24日 小樽後志版)

 いつもこの建物の前を通ると思ってしまう。木造一部2階建て延べ413平方メートルということなんだけど、なんか小さいんだよな。ほんとうに、この中にバンドが入り、ホステスたちとダンスをするスペースなんかあったんだろうか?
 実物を体験しなかった人は、こういう時悲しい… 昭和27年11月生れの私は、第二句集「指輪」出版記念会会場から忽然と消息を絶つことになる鈴木しづ子にも間に合わなかったし。なにもかも残念でなりませぬ。