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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



七月の札幌
 
 

 俳句には何の心得も教養もない私ですが、2011年に出版された川村蘭太「しづ子」はよかった。ほんとうによかった。

  夏みかん酢つぱしいまさら純潔など

 身体の底からざくりと湧いてくるものがある。今でも、時々読みかえすことがある。忘れかけていた言葉の感度が上がる。俳句って、こんな凄いものなのか。

  ダンサーになろか凍夜の駅間歩く

 基本的には、鈴木しづ子の俳句の樹海に迷い込んでいることが私の快感なのだが、それもこれも、川村蘭太としづ子との間で毎夜交わされる想いの中に立ちどまっていることが前提なのではないかと思っている。それはたとえば、こんな場面、

  棲むべしと蝦夷を見に来しアカシヤ葉

 家族で棲む北海道。叔母の朝子も祖母たちもしづ子の手を握って、北海の風景に見とれていたのだろうか。鈴木家にとって、それは一番の至福の時であった。

  札幌に乗換へてより梅雨激ぎつ
  蝦夷に来て雷に逢ふたり芋おでん

 しづ子が当時の子供時代に戻ってこの俳句を詠んでいる。家族の前から姿を消す覚悟の上で作句している。哀れである。巨湫もかつての恋人たちも知らない、家族との思い出である。

  生くるべし蝦夷はまつたき夏みどり

 しづ子と札幌との関係とか、そういう文学館的な説明、この際、どうでもいいだろうという気になる。しづ子のような素材を前にして、そこまで、下品ではないよ、私は。

 下品で思い出した。川村蘭太さんがいつもにも増して感情を剥き出しにして怒っている場面があった。

 北海道といえば、語っておかなければならない女流俳人がいる。群木鮎子である。
 鮎子が俳誌「餐燈(さんとう)」に突如、〈生理日のタンゴいつまでも踊らねばならぬ 恋の夢わたしは匂うものさえない 男の体臭かがねばさみしい私になった〉などの句を投句して一躍、鈴木しづ子の再来との呼び声を高くしたからだ。しづ子が、消息を絶った翌年の昭和二八年のことである。

 これは、たしかに、ひどい。小樽のちまちま人形よりも、下品。

 当時「餐燈」は、札幌市内の書店に置かれていたため、群木鮎子もそれを手にして、投句に及んだものと思われている。だが、群木鮎子と鈴木しづ子とが同一視され一気に脚光を浴びると、鮎子は投句を止めてしづ子と同じように姿を消してしまう。調べると、その名もペンネームで、住所も不詳であったという。ここでまた、しづ子の渡道説と、彼女が鮎子の名を騙り投句したという噂が広まった。
 私がこの現象を面白く眺めるのは、偶然にもしづ子の思い出の地に、鮎子なる女流俳人が登場したことである。ただそれだけである。その俳句もしづ子とは句筋が違うし、質が悪い。
 たとえば、鮎子の〈花火消ゆ純潔とおき日の果てに〉は、完全にしづ子の〈夏みかん酢つぱしいまさら純潔など〉を下敷きにした作句で、恰もしづ子の俳句を連想させるように仕上げている。また、〈花活ければ孤独の相やりけれず〉の〈けれず〉を含めて、巨湫の添削を待つまでもなく句の姿が稚拙である。〈夫ならぬ人の唇あまし夜の新樹〉〈死ぬと云う男の銭や得て生くる〉に至っては下品という他はない。しづ子の大量句を振り返ってみれぱ一目瞭然である。鮎子俳句には、しづ子の写実性がないのだ。というよりも私は、群木鮎子の俳句は、まだ句に手を染めて日が浅い、男性の手になる句作であると直感する。

 北海道の恥ですね。ああ、気持ち悪い。しづ子の俳句に、もどりたい。

 だが、しづ子の俳句工房を覗いた私は、その句作過程から彼女の俳句にある特徴を見出した。それを一口にいえぱ、連作作法である。最初に得たイメージを連鎖させることによって、自身のテーマを掴んでいく方法である。テーマの確証が固まってくると、しづ子は俄にその主題に埋没し出す。彼女はテーマに没頭することによって描くべき人物になり切っていく。(中略)
 たとえば、郵送年月日不明の二〇枚の句稿の束に目を通してみよう。ここに、しづ子の一句が成立するまでのそのプロセスがすべて描かれている。

  満月の夜にて女體の恥ずるなり (最初のイメージを想起させる句)

 句中の、「にて」の前に判読不明な二文字が消されて、かつ、この句全体に否定の波線が引かれている。そして、その脇の空欄であった一行に、

  女體にて満月の夜の火を捧ぐ

 と記されている。更に次の行には、

  満月の夜の女體に祈りはなし

 とある。
 <満月>と<女體>の連鎖が、テーマを探している。テーマとは、<女體>が象徴する「夜の生活(たつき)に堕ちた女性」である。これでこの句は完了したのかと思うと、一七枚目には、

  満月の夜は女體もて祈り遂ぐ

 の句が出現する。その句の上に鉛筆でVの印がふたつ。更にその鉛筆は、「満月」の満の漢字の右脇に、その「満」を消し平仮名で「まん」と、「夜は」の「は」を消し「ぞ」に、「祈」の漢字を消して同じく平仮名に添削した上で、その句全体に棒線を引いて、その下に、

  まん月の夜のいのりぞ女體もて

 と、?(○囲み)印付きで走り書きしてある。この鉛筆書きは、しづ子の郵送後の師巨湫の添削である。巨湫の悩んだ痕跡がそこにある。
 この句の隣りに、更にしづ子の句がペンで消されて残っている。

 満月の夜こそ(にて)女體のけがれなし

 と読める。そしてその隣りの行には、小さい文字で、

  満月の夜のいとなみの女人の手

 の「女人の手」を消して、「女體の手」としている。
 そして次の行からは、

  傳説の満月の夜の捧げもの
  満月の夜はいけにへの女體焚くと

 で、一八枚目に移る。しづ子は、〈女體〉の背景を克明にすべく苦吟している。そして、満月の句は更に続く。

  満月の夜は祈りの手ほどかざる
  女體にて月のみ前に恥ずるなし

 この句の上に鉛筆のV印あり。ちなみにこの句は、〈月み前女體捧げて惜しむなし〉の推敲句である。更に続く句は、

  満月の夜にて(こそを消す)捧げむ女體かな
  女體にて満月の夜の火を捧ぐ
  満月の夜の女體に祈りはなし

 一九枚目は、「満月」が変化して「月」に変わる。

  月に泳ぐこの世のいのちおもはざり
  暗黒の沖へ沖へと泳ぎて死なむ

 と続いて、ここでまた「月」は「満月」の表現に戻る。

  きたるべき満月の夜と決めしなり
  満月の夜を泳ぎてゆきて還るなし

 と今度は、「女體」のイメージは消えて、「満月」と「自殺」のモチーフにと変化する。これらの句の上には、巨漱のV印が付いている。そして、この日最後である二〇枚目のぺージには、

  満月や断たむとおもふいのちもち

 を消して、

  惜しむなきいのちをさらす月の前
  満月や選るべくいのちの捨てどころ

 の、「満月」以下をすべて消去して、

  満月の夜は黒髪に祈るなり
  記事に讀む一行の訃や月満ちぬ
  満月の夜のいのちぞ召したまへ

 を、すべて消して、

  召されゆく人のいのちぞ月満ちぬ
  この世への訣別の手に月光りぬ
  月光と死とかかはりのあらざるも

 と句は並ぶ。
 これらの句に巨湫の添削の跡はない。そして、この日の句の末尾には、二句の極めて長閑な生活句が記されている。

  親の留守にて溶けてやまざる夏氷
  親の留守夏日さんさん竿の面に

 これがしづ子の作句工房である。