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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



五月の小樽 (二)
 
 

 囚人の列が金曇(こんたん)町に入ると、遊里は、騒然となった。人が走り、客引きの男は遊女屋に身をひそめる。格子窓の中に坐る女たちは、朱色の獄衣と編笠の列に甲高い叫び声をあげて、家の奥に駈けこんだ。囚人の編笠は、しきりに左右の遊女屋にうごき、二階から呆気にとられて見下ろす女たちにも向けられた。編笠の中から、忍び笑いももれた。看守や押丁たちも、意外な場所へ足をふみ入れたことをいぶかしみながら顔に苦笑をうかべていた。鎖のふれ合う音が、遊里の中をすすんだ。
(吉村昭「赤い人」)

 オタルナイの港に上陸した四十名もの囚人たち。石狩行きの便船は明日午前と決まったが、さて、囚人たちを泊める場所が小樽にない。官によって支給される護送費は、囚人一人あたり一泊二食で日に十三銭とさだめられている。十三銭では、旅宿や民家は論外。頼りにしていた倉庫業者も、囚人イメージを嫌い貸し渋る。五月の小樽では野宿させるわけにもいかず、護送の役人は困り果ててしまう。最後に思いついた場所が金曇町の貸座敷であった。そこで、先の引用となるわけです。これには、囚人たちも苦笑い。

 「食え」
 一等看守の声に、かれらは箸を手にした。飯櫃(めしびつ)の傍に坐る男や女たちは、かたく口をつぐんで囚人の差し出す茶碗に飯を盛っていた。
 その夜、かれらは分厚いふとんに身を横たえた。ふとんの柄は派手で、四隅に金色の房がついている。脂粉の匂いがふとんや枕からただよい出て、部屋の中になまめかしい雰囲気がひろがっていた。
 部屋の入口附近に、不寝番の看守と押丁たちが立って、行灯の灯にうかぶ華美なふとんの列を見守っていた。
(同書より)

 この話、小樽では有名な話です。北海道開拓夜話としてさまざまな作品に使われています。一例を挙げてみましょう。場面は、石狩川を樺戸に向かう石狩川汽船の船内。

 吉蔵は絹の応答にこたえず、目顔で室内の一隅をさし示す。縄つきの編み笠を目深にかぶった囚人が三名、巡査二名に挟まれて腰かけていた。柿色の獄衣はかなり目立つのだが、人込みにまぎれてひっそりと隠れていたのか、絹は知らされるまで気がつかなかった。吉蔵は声をひそめて憶測する。
 「樺戸送りだよ。札幌から汽車で連れてこられたとすると、けさの乗船には間に合わないから、たぶんきのうの夕方の汽車でついて、囚人は戸長役場の分署(札幌警察署江別分署)奥の留置場に泊められたんだ」
 「人殺しかしら」
 「樺戸集治監には政治犯もいるが、殺人犯や押し込み強盗など重罪犯人ぱかり入れられているそうだ。あの編み笠の下の顔は、きっと悪党面だよ。こっそり覗いてみたいな」
(千田三四郎「海のない港」)

 ふとした奇縁で、樺戸集治監へ護送中の囚人たちと同船することになった絹たち一行。

 立ち去る船員を見送り、絹はさばさばした気分になって船室に降りると、吉蔵と欣助のどちらが瓢(ひさご)を取り出したのか、ふたりでしきりに酒を巡査に勧めていた。巡査がそっけなく断ると、欣助が手元で揺れる盃に唇を伸ばすようにして啜りながら、
 「お巡りさんはだね、海賀直常(かいがなおつね)っていう人物を知っているだろうか。もちろん先刻承知のすけだろうが、その御仁の囚人押送の故事を想起していただきたい」
 と言うと、吉蔵が膝をたたいて、うん、うん、聴いたことがあると身を乗り出す。
 「海賀警守課長が無期徒刑囚四十人を連れて小樽に上陸したときの話だな。そうそう十年前の明治十四年(一八八一)の樺戸集治監ができる三月前の春のことで、輸送の汽車の都合で一泊したいが、どこも怖がって泊めてくれない。窮余の一策、妓楼(ぎろう)泊まりを強行した」
 「さすがに能登屋さんだ、よくご存じで……。廓の亭主は、囚徒宿泊の要求をしぶしぶながらうけたまわって、なんと一人一泊十五銭の予算なのに高足膳の夜食を供した。ばばんばんばんと張り扇で語りたいような逸話だが、ねえ、お巡りさん。その海賀さんの太い肝っ玉に倣(なら)えば、この盃なんか屁でもないはず、さあ、遠慮なくぐいっとやってください」
(同書より)

 警官らは周りの目が気になって怒るわけにいかず、欣助の勧める盃を代わる代わる手にする。欣助は瓢をかかげて警官の間に割っていざり寄り、

 「酔えば渇きも官職も忘れ、といきたいね。お巡りさんが飲んでくれたことを、海賀さんも認めますよ。高足膳はないけれど、一杯くらいは囚人さんにもふるまいましょうや」
 と囚徒のひとりに盃を押しつける。制止しかける警官の膝を吉蔵が軽くおさえて、
 「これこそお巡りさんの模範。じっとこらえて飲みこむ、この雅量には、いやーぁ敬服します」
 と褒めたたえる。囚徒らは警官に黙認されそうな成り行きを察知したのか、編み笠をかぶったまま順ぐりに黙って盃のやりとりをする。注ぐ欣助に対して、どうもとか美味いとかの反応を、なにも示そうとしない。それが絹には不気味だった。周囲からも意味のつかめないどよめきが起きている。警官の一方がころあいをみて注意した。
 「いい加減にせんか。いい気になっておまえら、差し入れをしたつもりだろうが、驕りと遊蕩をひけらかすお大尽へのだ、おまえらがそんなに金持ちではないにしてもだ、こいつらのお大尽にたいする憎悪を逆に掻き立てるだけだ。こいつらが娑婆に出ることがあったら、たぶんお礼参りに行くだろう」
 吉蔵は「そんな」と言い返しかけて、「迂闊でした。調子づいて確かにどうかしていました。汗顔のいたりです」とていねいにお辞儀をした。だが、その俯いた片頬にちらりと浮かんだ薄嗤いを、絹は見逃していなかった。
(同書より)

 してやったり、編笠の中の顔、しかと見たぞ!といったところか。この顔の中に「五寸釘寅吉」がいたんだよ…というのが、技巧の人、千田三四郎の真骨頂ですかね。