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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



四月の後志
 
 

 転校生が来るなど初めてのことだった。担任の宮本先生が、黒板に『下草なみ子』と大きく書き、茅沼から来たのだと紹介した。道内でも屈指の炭鉱町である茅沼の名前は知っていた。根雪の時期、集落の男衆達がこぞって出稼ぎに向かう先でもある。権吉爺さんなどは十三の歳から、炭塵で雪が黒くなるというその町に毎冬通っていた。
 目尻の吊り上がった浅黒い肌をしたその子は、文太の隣に座ることになった。離れた場所からでも、セーラー服の白線が汚れているのと肘が薄くなっているのがわかった。肩まで垂らした髪の毛も、長いこと洗っていないようだった。
(峯崎ひさみ「穴はずれ」)

 昼近く、清兄と豊乃姉がそろって茶の間に顔を出した。豊乃姉の瞼のあたりがいつもより腫れぼったく見えた。清兄が、「昨夜、出すの忘れちまって」と、おばさんに焦げ茶色の缶を渡した。
 「こりゃ、何つうもんだね」おばさんが目をすがめ、缶を逆さにしたり振ったりした。
 「コ・コ・アってゆうだと」豊乃姉が教えた。弾んだ声に聞こえた。(中略)
 「もう少し、砂糖、きかせた方がよかったかな」
 豊乃姉の顔を覗き込むようにして清兄が聞いた。
 「ちょうどええ」豊乃姉は気恥ずかしそうに首を振って、湯呑み茶碗を両手に包んだ。
 たちまち三が日が過ぎて、吹雪の中を清兄は炭鉱に戻って行った。
(峯崎ひさみ「バイキ!」)

 峯崎さんの小説のいたるところに出てくる茅沼の名。泊村の茅沼炭鉱。ここへの出稼ぎは、羊蹄山麓の開拓農家にとっても大切な冬期間の収入源だった。

 一九六四年春。泊村にある茅沼小体育館は、炭鉱従業員や家族ら千人以上の熱気でむせ返っていた。怒号とすすり泣きが交錯する中、「閉山やむなし」の声が響いた。労組が閉山を受け入れた瞬間だった。
 その約一カ月後の四月三十日、自糠炭山などと共に開鉱が江戸の末期にさかのぼる茅沼炭鉱は、静かに百八年の歴史にピリオドを打った。
(北海道新聞 1995年8月/あの時いま・第7回「閉山に断腸の思い」)

 当時、炭鉱労組の事務局長だった山田勇さんが語ります。

 「祖父の代から茅沼で働いている人もいた。マチがなくなると考えると、断腸の思いでした」
 山田さんが、同鉱に勤め始めたのは一九四七年。まだ食糧の乏しい時代で、国の基幹産業の炭鉱には、物資が優先配分された。「炭鉱に行けば、砂糖も小麦粉もある。嫁に行くなら炭鉱へ行けといわれた時代ですからね」(中略)
 同鉱の石炭は高カロリーで粘りがある高品位炭で、主に冨士製鉄(現新日鉄)に売られ、戦後の経済復興を支えた。一九六〇年には、最高の十六万トンの出炭量を記録した。
 「戦後は一時、東洋一の大浴場や発足地区(共和町)へ抜けるトンネルを造る構想もありました。小学校は児童が千人以上いて、大相撲も二回巡業に来ましたよ」
(同記事より)

 千人を越える生徒数ってのは、凄い数ですよ。(脇方の三、四倍) ちょうどニシン漁が衰退して行く時代を、村の産業基盤がスイッチするような形で茅沼炭鉱は隆盛したものでしょうか。しかし、この繁栄も長くは続きません。国のエネルギー政策の転換によって坂道を転げ落ちるようにまた衰退の道に入って行きます。安い海外炭の輸入、石炭から石油へのエネルギー革命。そして、ついに一九六四年四月、茅沼小体育館の閉山決議の日を迎えたのです。
 もうニシンは獲れない。炭鉱は閉山。ある意味、これは、泊という集落の滅亡、今の夕張と同じ町の消滅という事態なのですが、じつは泊村は消滅しなかったのです。なぜか。

 また、スイッチが入れかわったから。泊村に原発がやってきたから。「燃える石」を失った村は、「原子の灯」に活路を求めたのです。

 大観覧車があり、映画館があり、遊園地があった―。
 生徒たちが段ボールで作った「夢の村」。そこには原発で栄える村がイメージされていた。
 泊中学校(後志管内泊村)で長い間、教壇に立った坂井弘治さん(72)は、当時のことを鮮明に覚えている。
 泊村に北電泊原発の立地が具体化したころだった。「原発が来たら交付金を活用してどんな村にしたいか」。生徒に問いかけて、文化祭に出展する段ボールの村が出来上がった。
(北海道新聞 2012年3月18日/異聞風聞)

 へぇ−、いつもお世話になってる岩内町郷土館館長の坂井さんは泊中の先生だったんですね。(今度郷土館に行ったら「原発」の話も聞いてみよう…) そして、生徒が段ボールでつくった「夢の村」は、そのまま、現実の「夢の村」へとなって姿をあらわします。

 流れ込む交付金と固定資産税の「原発マネー」で村の財政は潤う。1号機が営業運転を始めた1989年度から21年間で総額約546億円(道まとめ)。
 屋内スケートリンクや温泉施設などが次々と整備され、村役場や公民館も立派になった。村民には結婚・出産祝い金から温泉無料入浴券、格安で弁当を届ける配食サービス…。
(同記事より)

 半世紀前、清兄(せいあに)がひっそりと戻っていった泊村。

 2012年5月5日深夜、泊原発3号機が停止。これにより、国内の商業用原発全50機が停止。