四月の余市 |
親愛なるリタへ―― 昨日、余市川を遡ってみました。そしたら、なんと、湿原から切りだした草炭(ピート)を乾かして、農家では竈や風呂を焚いているではないか。 その時のぼくの驚きを想像してみてください。思わず血が逆流するような、目眩のような、筆舌に尽しがたい感動に襲われました。 草炭が出るくらいだから、その地下から湧き出る水質は清冽で申し分ない。 ついに理想の土地をみつけました。 (森瑤子「望郷」) 竹鶴の逸話の中でも、この「余市」発見の話はもっとも印象深い話だと私は思っています。森瑤子の「望郷」は、この竹鶴の興奮を妻リタに宛てた手紙という形で最高度に表現している秀作。おそらく、小説という形態でしか顕せない何かではないだろうか。 余市といっても、リタ、おまえにはぴんとこまい。沙羅(さら)に北海道の地図で教えてもらいなさい。積丹半島の付け根の部分、小樽の西にあたる。背後に山。余市川が小さな町の真ん中を流れて日本海に注ぎこんでいる。 自然の条件は完璧です。オゾンをたっぷりと含んだ空気は適当に湿っている。つまりスコットランドの気候風土と酷似しているのです。グラスゴーに留学していた時から、ぼくはひそかに北海道に狙いをつけていたのだが、摂津酒造の時代も、寿屋の時代も、資金ぐりや地理的に遠隔地であるということで反対をうけました。 ぽくは余市にきめたよ。ここにウィスキー工場を建てるつもりだ。さいわい余市はリンゴの産地でも有名です。ウィスキーが商品化するまで、リンゴジュースを作れば、資金援助を申し出てくれた加賀さんや芝川さんや柳沢伯爵に多大な迷惑をかけずにすむと思います。 さっそく今日は、一日がかりで工場用用地にふさわしい場所を探し出しました。それは幸運にも駅と余市川のほぽ中間に位置する三千六百坪の土地で、雑草と土塊だけで民家も建っていません。ここに、ぼくのウィスキー工場を建設するつもりです。そしてぽくたちの家もね。ほぽ一年後になるだろうが、それまでおまえは沙羅と力を合わせて元気にしていてください。ぼくはほとんど単身で、こちらに止まりおまえたちを一日も早く迎える用意をします。 今回はこの全文引用をもって私のミッションは終了です。手抜きといわれようと、何といわれようと、これ以外に対応する技があるとは思えない。 ところで、余市というのは鰊漁で栄えた町で、今でもかなりの漁獲高を誇っています。ぼくはどうも、鰊とは因縁があるらしい。覚えていると思うが、ぽくたちが新婚生活を送ったキャンベルタウソも鰊漁の港町でした。そしてグラスゴーにあったぼくの下宿では、朝食というと判で押したように練の燃製(キッパーズ)で、閉口しましたが、早いものであの時代から十五年もたってしまったのだね。考えてみればぼくも今年で四十歳だ。不惑という。不惑の意味は四十にして惑わず。ぽくの夢ははや、余市にやがて建つだろう赤い煉瓦造りのウィスキー工場に飛んでいます。 ここは北海道でも二番目に過ごしやすい土地だと、この地の人たちは自慢しています。もっとも一番目がどこなのかは聞きもらしましたが。人口二万人。雪もそれほど多くなく、気温も氷点下をそう大きく下がらない。 それでも冬になると海からの烈風で、このちっぽけな町全体は、雪煙りにすっぽりとつつまれてしまうらしい。そんな様子が眼に浮かぶようです。 では、今日はこの辺で筆を置きます。また、書きますが返事は無用です。何しろ当分住所不定だからね。 沙羅をあまり甘やかさないように。あの子は少し我儘すぎる。あれは一種、おまえの愛情を試しているんだとぽくは思う。おまえがそのことに気がつかないかぎり、あの子は底無しに増長するだけです。それはおまえたちどちらにとっても苦しいだけなのだから、心を鬼にするのも愛情と思ってください。 それとは別に、おまえの完璧主義も、子供には少々重荷なのだろうと思う。不思議なもので、離れてみると、いろいろなことが冷静にしかもよく見れるものなのです。子育てというのは苦労ばかりではない、楽しむのもまた大事なのだ、と思います。躰にくれぐれも気をつけて。風邪をひかないように。それからウィスキーを飲み過ぎないように――(これは冗談だが、実はおまえがときどきこっそり飲(や)っているのを知っているのだ。ウィスキー屋の女房だ。少しくらい飲めるほうがいいでしょう) 一九三四年四月十八日 余市にて 政孝 |