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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



四月の小樽
 
 

 小樽啄木会ホームページの編集を担当していた新谷保人の小樽啄木会退会に伴い、ホームページは、啄木が北海道を離れた四月二十四日をもって終了いたします。十年のご愛読ありがとうございました。
(小樽啄木会HP 2012.4.7/ホームページ終了のお知らせ)

 小樽啄木会を退会することにしました。理由は、今年六月に市立小樽文学館で開催される「石川啄木と小樽啄木会」展。啄木忌の会場借りる程度なら毎年我慢もしていたが、よりによって文学館が「小樽啄木会」を語るなどの事態に至ってはもうやってられない。ちまちま人形並べて喜んでいるような連中と私は同類じゃないですから。私はこれからも自分の信条に基づいてものを書いたり発言したりして行きたいから、小樽啄木会を退会することにしました。

 ちまちま人形。こんなもん、旧石器を前夜に埋め込んでる藤村と同じだよ。

 そこで私は、本当の私たちの仲間として対等に専門的なことができるようになり、一人立ちして欲しいと思った。(中略) 実測図作成の習得訓練は、専攻の学生でも実習を何回もやって普段も練習し、一人前になるには半年くらいかかる根気のいる訓練だが、藤村はすぐに飽きてしまっていた。それならば何か、彼にも興味が持て、一生懸命になれる専門的なことを見つけられればいいな、とその後も思い続けた。今にして思えば、結局彼は、石器にも、遺跡にも、難しい学問的な興味はなく、うまくばれないように石器を埋め込むための情報を得、手口を考えるかが重要だったのだろう。彼は石器を発見することを「スコアを上げる」といっていたらしいが、彼にとって楽しかった考古学は「自分で埋め込んだ石器を発見する」真似ごとの考古学だったのだろう。
(岡村道雄/旧石器遺跡「捏造事件」)

 タマガワさんに褒めてもらいたくて、ちまちまつくった人形がおばさんのブンガクだったのだろう。

 舷窓よりなつかしき函館の燈火を眺めて涙おのづから下る。
 老母と妻と子と函館に帰つた! 友の厚ぎ情は謝するに辞もない。自分が新たに築くべき創作的生活には希望がある。否、これ以外に自分の前途何事も無い! そして唯涙が下る。唯々涙が下る。噫、所詮自分、石川啄木は、如何に此世に処すべきかを知らぬのだ。
 犬コロの如く丸くなって三等室に寝た!
(石川啄木「明治四十一年日誌」/四月二十四日)

 かなしきは小樽の町よ
 歌ふことなき人人の
 声の荒さよ