Welcome to SWAN 2001 Homepage


 
 
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



三月の後志
 
 

 森田先生は、かっちゃんの目の前に地図を広げて指差した。小樽は札幌と倶知安町のちょうど真ん中に位置している町のようだ。
 しかし、かっちゃんは森田先生がなにを言っているのか、すぐに理解できなかった。
 「したからさ、小樽潮陵高校におめが入れば、東に負けたことにはならないべさ。いや、おめは学区外から中部よりかレベルが高いかもわがらない潮陵高校に入ることになれば、東に勝つことになるかもしれないべさ。どうだ?」
(西川つかさ「青春〜ひまわりのかっちゃん」)

 北海道はおもしろいところで、高校のランキングが「東大」の合格率では決まらない。「北大」の合格率で決まります。私も、東京の大学に出るまでは、高校のランクは各地のトップの大学の合格率で決まるのだと思っていました。(笑)
 まあ、それにしても、かっちゃん。倶知安から汽車に一時間半乗って潮陵高校に通うのはなかなか大変だよ… わかってんのかなー。
 結局、親のにべもない反対で、かっちゃんの大決心はくずれます。で、倶知安高校へ。傷つくかっちゃん。この、頑として「倶知安」の価値を認めないかっちゃんの心が、やがて身のまわりに血を血で洗う暴力の青春を呼び込むというのが小説「青春〜ひまわりのかっちゃん」なのですが…
 倶知安の暴力話にはあんまり興味はなかったです。この小説のいちばんグッとくる場面、私には、倶知安に来る前の、三月の北檜山中学校でのある放課後風景でした。

 「わかった。したけど、ガスも司がいなくなるって聞いたらがっかりするべな……」
 「悟、なんも転校するからって、もう会えないってことじゃねえべや」
 かっちゃんは、無理して明るい声を出して言った。
 「ほんとか!?」
 「当たり前だべや。おれ、高校生になったらよ、夏休みに五島軒に行くから、悟が作った料理食べさせてくれや」
 「ほんとか!? ほんとに遊びに来てくれるのか!? 約束だぞ、司」
 「その代わり、まずいもん食わせたら、お金払わないからな」
 かっちゃんが笑って言うと、
 「まかせろじゃ。それに金なんかいらね。なんぼでも食わせるじゃ――司、あのな、おれ、夢あんだよ。聞いてくれるか?」
 悟が急にまじめな顔になって言った。
 「うん。おまえの夢ってなんだ?」
 そう言うと、悟はつかつかと黒板に行くとチョークを持って、
 「自分の店、開くことなんだ。もうだいたいどういう店がいいか考えてあるんだわ」
 悟はチョークで黒板に見取り図のようなものを描き始めた。
 「洋食屋なんだけどさ、広さはこのぐらいで、ここらへんにカウンターもあってさ。だいたいこんな感じなんだ。土建屋のガスに手伝ってもらえば安くできると思うのさ」
 下手な見取り図を見ながら、悟はとてもうれしそうだ。
 「修にも手伝ってもらえばいいべや。あいつは大工になるって言ってるから、もっといい店に造ってくれるんでないか?」
 悟の顔がパッと輝いた。
 「うん。おれが頼んでもダメかもしれないけど、司が頼んでくれれば、修は絶対にやってくれるな。司、そのときになったらほんとに修に頼んでくれるか?」
 「うん。頼んでやる」
 「そっか! ――したら、あれだな。店の中は、もっとこういうふうにしたほうがいいかな」
 悟はうれしそうにさっき描いた見取り図にさらに手を加えていき、それが出来上がると、
 「してな。店の名前なんだけど、ひらがなで“つかさ”ってつけたいんだ。司が書いた字をのれんにしてさ。司、書いてくれるか?」
 ずいぶん先のことだし、自分の店を持つのはそう簡単ではないだろうに、悟は真剣な顔をしている。
 「洋食屋で“つかさ”はヘンだべや。それにおれ、字、へたくそなの、知ってるべ?」
 かっちゃんが笑って言うと、
 「なんもヘンでない。おれの店なんだから、のれんの字なんかヘタでもどうでもいいんだ。司が書いてくれればそれでいいんだ。『つかさ』って名前つけたら、おれ、がんぱれると思うんだよ。したって、司がいてくれたから、おれ、小学校のときも中学校に入っても勉強なんかわからないことばっかりだったけど、休みたいと思ったことなかったんだからな。ガスもおんなじこと言ってたど。ほんとだ。ほんとなんだど……」
 悟は口をへの字に曲げて、かっちゃんを睨むようにして口をつぐんだ。その目は真っ赤になっていて、今にも涙がこぼれ出てきそうだ。
 かっちゃんは、笑ったことを後悔した。
 「悟。わかった。わかったよ。おれの名前を店につけてくれ。のれんに使う字、おれが書く。約束する。したから、おまえ、がんばれよ。本当に自分の店、出せよ……」

 長い引用になったしまいました。でも、これだけは、(中略)なしの全文引用でないと駄目なんです。15の春を迎える昭和の北海道の中学生の頭の中はいったいどうなっているか…をこのように克明に書いた本、あまり知りません。世界が、かっちゃんと悟とガスだけでできている世界。おとなになったら、きれいさっぱり忘れてしまう世界。しかし、誰も悟の夢を笑うことはできません。だって、あなたも私も、昔、悟だったのだから。かっちゃんだったのだから。西川つかさ「青春」は、そういう大事なことを思い出させてくれる案外大切な一冊。