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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



三月の小樽 (二)
 
 

 「おい、いゝ加減にどうだ。」
 下から柔道三段の巡査が、ブランと下った渡の足を自分の手の甲で軽くたたいた。
 「加減もんでたまるかい.」
 「馬鹿だなア。今度のは新式だぞ。」
 「何んでもいゝ。」
 「ウフン。」
 渡は、だが、今度のにはこたえた。それは畳屋の使う太い針を身体に刺す。一刺しされる度に、彼は強烈な電気に触れたように、自分の身体が句読点位にギュンと瞬間縮まる、と思った。彼は吊されている身休をくねらし、くねらし、口をギュッとくいしばり、大声で叫んだ。
 「殺せ、殺せ――え、殺せ――え!!」
(小林多喜二「一九二八年三月十五日」)

 この小説「一九二八年三月十五日」の凄惨な拷問描写が警察の怒りをかい、小林多喜二の逮捕〜拷問死につながったというのは有名な話です。では、小説中における多喜二の分身ともみえる小川竜吉の場合は…

 取調室の天井を渡っている梁に滑車がついていて、それの両方にロープが下がっていた。竜吉はその一端に両足を結びつけられると、逆さに吊し上げられた。それから「どうつき」のように床に頭をどしん/\と打ちつけた。その度に堰口を破った滝のように、血が頭一杯にあふれる程下がった。彼の頭、顔は文字通り火の玉になった。眼は真赤にふくれ上がって、飛び出した。
 「助けてくれ!」彼が叫んだ。
 それが終ると、熱湯に手をつッこませた。

 小林多喜二の新しさって、こういうことだったのではないでしょうか。今まで誰も書かなかった、誰も書けなかった世界、つまり、「党生活者」の日常を書いた、という。農民やプロレタリアの悲惨を書いた作家もいました。獄中で歌を詠んだ主義者もいたでしょう。でも、「党生活者」の日常に踏み込んで、その内面を自然主義の文体で描いた人間はいなかった。志賀直哉だって、これには注目します。
 「一九二八年三月十五日」には拷問シーンだけが描かれているわけではありません。アジトに、家に踏み込む特高の様子。踏み込まれた身内の、家族の表情。牢屋に入ったら入ったで、壁の落書の描写まで小林多喜二は忘れない。多喜二の文学にとって、それは必要不可欠なものだから。

 壁には爪や、鉛筆のようなもので、色々な落書がしてあった。退屈になると、渡は丹念にそれを拾い、拾い読んだ。何処にも書かれる男と女の生殖器が大きく二つも三つもあった。
 「俺は泥棒ですよ、ハイ。」「こゝの署長は剣難死亡の相あり――骨相家。」「火事、火事、火事、火、火。(これが未来派のような字体で。)」(中略)男と女の生殖器を向い合わせて書いてある下に「人生の悲喜劇は一本に始って、一本に終るか。嗚呼。」(中略)「巡査さん、山田町の吉田キヨと云う人妻は、男を三人持っていて、サック持参で一日置きに廻って歩いているそうだ。探査を望む。」「お前もその一人か。」「妻と子あり、飢えている。俺はこの社会を憎む。」「ウン、大いに憎め。」「働け。」「働け? 働いて楽になる世の中だか考えてから云え、馬鹿野郎。」「社会主義万歳。」(中略)「俺はとう/\巡査の厄介になったよ。悲しい男。」「巡査の嬶で、生活苦のために一回三円で淫売をしているものが、小樽に八人いる。穴知り生。」

 この落書群に、渡に「おい、皆聞け! この留置場は俺達貧乏人だけをやッつけるためにあるものなんだ。」という二十三行のアジテーションを書かせるところが多喜二のダサいところ。(小樽っぽいといえば、そういえないこともないが…)

 渡は、「小川さんはねえ、警察で一度ウンとこさなぐられたら、もっと凄くなるんだがな。」と云ったことがあった。

 「蟹工船」なんか、ちっともいいとは思わない。それよりは、「東倶知安行」や、この「一九二八年三月十五日」などにチラチラと語られるインテリゲンチャ小林多喜二の内面の方がたいへん興味深い。(「魅力的」といってしまいそうな寸前…)