二月の小樽 (二) |
「徹子の部屋に出る」という目標はいまだに達成していない。「郷ひろみとの対談」も、実現していない。それでも、自分の書いた小説が舞台化される夢は、見事に叶った。 舞台『てけれっつのぱ』は、今年1月は四国、2月は北海道、3月は中部北陸と全国ツアーに入った。3月11日東日本大震災が起きたときは、愛知県豊橋市で仕込みの最中だったという。その日の公演は無事終了したものの、以後は、余震のためにヘルメットをかぶって大道具の搬入をしたり、計画停電など地震の影響で会場が使えなくて公演が中止になったり……。 (蜂谷涼「おネエさまの秘め事」) 早いなあ。もう2月か。あの日の小樽マリンホールでの「てけれっつのぱ」、私も観ていたよ。あの数週間後、マグニチュード9の大地震が起こり、大津波が押し寄せ、原発がメルトダウンする世が来るなんて考えてもいなかった。 公演終了後、お酒を呑みつつ語り合うほどに、役者さんたちが「日本がこんな状況のときに、芝居をしていて良いのか」と悩みながら舞台に上がっていることが、よくわかった。また、観客の方々も「多くの被災者が苦しんでいるというのに、自分たちだけが観劇などして申し訳ない」という気持を抱えて、劇場に足を運んでくださったことも。 確かにその頃は、被災地から遠く離れた九州などでも、コンサートやイベント等の中止が相次いでいた。被災者のお気持を考えての自粛である。「そのような催しは自粛しなければ不謹慎だ」というムードが日本中を覆っていた。TVのCMでは、タレントや歌手やスポーツ選手が「がんばろう日本。ひとつになろう日本」と連呼していた。私は、そういう空気にどうにもなじめなくて、だからといって、その「なじめなさ」を上手く説明できなくて、気持のおさまりがつかない日々を過ごしていた。 蜂谷さんは、この「なじめなさ」をきちんと伝えられる自信はこれっぽっちもないという。ただ、舞台「てけれっつのぱ」だけは、日本がこんな状況だからこそ、たくさんのお客様に観ていただく価値があると胸を張って言い切れるとはいう。 当然、そうだろう。プロの物書きがテレビで「がんばろう東北」を呼びかけたってどうしようもない。作家は作品でしかものの言い様がない。 赤の他人でありながら、肩を寄せ合い力を合わせて、数々の苦難を乗りきってきた主人公のあや乃たちは、芝居の終盤、大きな不幸に見舞われる。ラストの場は、一面の焼野原だ。煤だらけで呆然としているあや乃たちに向かって、彼女らを長年助けてきた俸曳きの銀次は、こう語りかける。「明日のことなんてわからねえ。だが、みなで支え合っていきゃ少々のこたあ乗り越えていけるさ。懸命に走り続けてさえいりゃ、お天道様はどこかできっと見ててくれるはずだ」 大震災の年に、「てけれっつのぱ」が全国ツアーに入ったことには、なにか時代的な意味があると思う。あの時、読んでいた本。あの時、出会った人。今はその意味がわからないけれど、生き残った人間にはいつかその意味がわかる時が必ず来ると信じます。小樽の蜂谷さんは、富良野の倉本さんと同じく、強運の持ち主ですね。 ところで… 最初に引用した節で、「徹子の部屋」や「郷ひろみ」の言葉に「ええっ」って思った人はいませんか。私はかなり吃驚しましたけど。普段、私たちは、「煌浪の岸」や「ちぎり屋」を書いた人が蜂谷涼さんだと思っているわけで。 だいたいさあ、厚底に限らず、最近なんだかみんな、鈍くない? 電車やバスの中で平気で化粧する女、クソ熱い人込みの中で、今にも、おっぱじめそうな(何を、とは問わないでね)いちゃつきカップル、疫や吸い殻の散らばる路上にべったりと座ってる男の子たち……。まったくと言っていいほど人目も気にしていなければ、自覚というものもない。 そういう連中をみるたび、私は頭の中の回線がブチッと音を立てて切れるのがわかる。できることなら、マシンガンでもぶっ放して、奴らを片っ端から撃ち殺したくなるほどだ。 普通の人だっんですね。(そりゃそうか…) いくら小樽だからって、「ちぎり屋」の世界を今にやられたら、みんな仰天してしまいますからね。これでいいのか。これでいいのだ。 |