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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



二月の小樽 (一)
 
 

 街の空は、鉛色に塗り込められたようで、視界の凡てに粉雪が舞っていた。松尾蕉平は、千歳空港発のバスから降り、方角を定めるように辺りを見回した。
 季節は昭和六十年の二月の半ばである。
(荒巻義雄「義経埋宝伝説殺人事件」)

 図書館の書架にあったので、なにげなく手にとった一冊。北海道の図書館だから、やはりこの手の「義経蝦夷渡り」伝説に関する本は多いです。講談社ノベルズ。表紙カバーに「書下ろし黄金の鷲の秘密」と。そして、ノベルズお約束の、憂いを秘めた美女の顔。読む前から、なんか、内容が透けて見えるような気がしないでもなかったが、(せめて西村京太郎レベルではないことを祈りつつ)読書、開始。
 荒巻義雄氏が小樽出身のSF作家だということは知っていたので、そうそうチョロい「義経伝説」を書くことはないだろうとは思っていましたが… 読んで、吃驚。いやー、これ、凄いんじゃないの! 定年退職の学校教師がカネやヒマにまかせて調べ歩いたような郷土史研究本とはランクがちがう。きっちりノベルズとしてのエンタテイメントを確保しつつ、それでいて、「ハヨピラ」から「東日流三郡誌」までの有象無象の義経ネタがてんこ盛り。これで660円はお買い得だと思いましたね。(図書館の本だから、0円か…非常に得した気分) カッコだけの、さして旨くもない寿司に小樽でン千円もとられるよりは遙かにマシ。

 という、いつもにない比喩を使ったのには理由があります。もっと、高踏的な作家と思っていたから… 以前、代表作と言われている「神聖代」も図書館から借りたことがあるけれど、難しくてリタイアしてしまいました。なにか、私にとっての中井英夫「虚無への供物」みたいなもんで、読了に何十年もかかる類の作家だと思っていた。「義経埋宝伝説殺人事件」に出会わなかったら、どうなってたんだろう。
 この作品、ちょっと面白い趣向をやっています。主人公の新進作家・松尾蕉平に加えて、荒巻義雄氏の分身みたいな伝奇SF作家・牧良男を登場させているんですね。その牧良男に伝奇小説の極意を語らせている。

 「たとえばね、義経が蝦夷ガ島に渡ったという伝説は、本当のところは、多分嘘なんだと思う。しかし、われわれ伝奇作家の場合は、その嘘をあたかも真の話のように読者から期待されているわけですよ。そこで、われわれは、あれこれ架空の話をこしらえることにそれぞれ才能というものを発揮するわけですが、そのとき、大嘘を、さも本当らしく見せ掛けるためにはどうするか。その際、いま言った、六つのWと一つのHが役立つのです」

 なるほど、なるほど…

 「この方程式を義経伝説に当てはめてみるならば、
 WHO〜義経が
 WHEN〜衣川の後
 WHERE〜蝦夷地へ
 WHOM〜弁慶らと
 WHAT〜逃れた
 HOW〜ひそかに舟で・…・.。
 ということになるわけです。
 伝説の支持者は、その可能性を立証するために、いろいろな論証を行なっているわけでしょう」
 「たとえば、平泉からの義経関係の事跡のあとをたどるとかですね」
 「それもあるし、鎌倉に送られた義経の首が腐っていて判別できなかったはずだとかね。そうした証明や可能性を集めることによって、ますます伝説は本当らしくなっていくのですな。ただ、問題は、WHYなのですよ。なぜ義経は蝦夷地へ逃れたのか。それは力を蓄えて、ふたたび鎌倉に攻め入るためだったとか、ね」
 「それが再興説ですね」
 「ええ、それもあるし、いや、大陸に渡るのが彼の本当の目的であったのだとかね。われわれ伝奇作家が小説を書く場合には、そのように六W一Hをね、全部考えてから書く必要があるのですな」

 高踏派ではなく、ものすごく律儀な職業作家だったんですね。じつは、最近荒巻氏に興味を持ったのは理由があって、この人は、東日本大震災後の平成23年7月、「骸骨半島」という詩集を発表したんですね。もちろん、処女詩集。震災後、香山リカが「こころの復興で大切なこと」を出版し、辺見庸が「眼の海」を出版し、広瀬隆が「FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン」を出版し、池澤夏樹が「春を恨んだりはしない」を出版したことに驚きはしなかったけれど、この詩集「骸骨半島」の出現にはひどく驚きました。あの時、私の心の底にあった、わけのわからない感情は意外とこういう言葉だったのではないかと思いました。

 焼却台の上で女は一つの風景になり
 しろじろと
 かさこそと
 旅立つ先は
 骸骨半島

 霊逝く道標
 青白く灯る始発駅のプラットホーム
 女は 北へ向かう夜行列車に乗り込み
 ひっそりと影のように
 原郷へと還る
 次元の巡礼たちと共に……
 (荒巻義雄「骸骨半島」)