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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



一月の石狩
 
 

 北海道の人と結婚していたことがあった。
 結婚する前、一九七四年の冬だったか、まだ学生のころ、はじめて北海道に旅をした。飛行機に乗ったのもはじめてだった。彼の正月帰省についていったのだったが、やさしいお母さんは、「友だち連れて帰るよ」のそれが、女友だちなのを知ってびっくりしたらしい。
(森まゆみ「おたがいさま」/北の国のハラヤマ先生)

 へえーっ。なんとなく、びっくり。「谷根千」(←谷中・根津・千駄木のことです)の作家・森まゆみが北海道の人とねー。
 「一九七四年」という言葉も、なぜか心ざわめく。私も、同じ頃、東京の女の人と似たようなことがあったから。結局、破綻して… なにが合わなかったのか今でもよくわからないけれど、歳とった今となっては、やはり「谷根千」と「北海道」ではあまりに文化がちがいすぎて合わなかったのだろうと思うことにしている。(自分に魅力がなかっただけの話と思うのはつらいから…)

 札幌から北東に一時間もかからない鉄道の町はそんなイメージを裏切らず、ポカンとしずかにさびしかった。冬休みだから気温はマイナス一五度、用意していた革のブーツは役に立たず、お父さんに長靴を借りた。
 彼の家は町はずれ、裏は広い公園、それがみんな雪に埋もれていた。三角屋根の木の家で、床暖房がついていたが、隣の家は屋根に煙突を生やし、入口の扉も木に鉄の留め金がついて、まるで白雪姫と七人の小人の家のようだった。

 七人の小人の家か… 同じようなことは、よくあった。「今、函館に着いたよー」という電話をもらう。「赤や緑(のトタン屋根)が街中に広がっていて、まるでおとぎの国に来たみたいだー」と。けれど、「(札幌に来るには)そこからさらに4時間だよー」と言うと、結局、彼は札幌を断念し、函館の街をちらちらっと見て東京へ帰っていったようだ。
 函館まで来ているんなら、札幌まではもう一頑張りじゃないか…というのは北海道人の感覚なのであって、東北本線の10時間(←特急でですよ)や青函連絡船の4時間に耐えて函館に着いた身にとっては、ここからさらに4時間というのは、我慢の限界を越えてしまうような事態ではあったらしい。(樺太なんか、この三倍なのに…)

 ハラヤマ先生は、その結婚した彼の高校時代の恩師。たぶん30代後半。川のほとりの小さな家に、少女のような奥さんと子どもと住んでいた。よく来たよく来たと、先生はニコニコしてみんなにお酒をふるまった。

 彼が先生になついているのはよく知っていた。東京の大学でも、いつもハラヤマ先生のことばかり聞かされていた。大雨なのに先生んちで麻雀やってたら、先生がまだ大丈夫大丈夫と言ってるうちに、川があふれて水浸しになっちゃった。先生んちは春、雪がとけると家のまわりが酒の山になってんだって。嘘か本当かわからないけど。学校に来なくなった級友のところまで先生の手紙を持って山の中を駆けてったことがある……。
 その一つ一つがのんびりしてあたたかくて、都会の受験校に育った私はすっかり憧れてしまった。恩師というべきほどの先生を持たなかったから。大体、ハラヤマ先生の母校だからというので、彼は一浪してワセダに来たのである。

 「学校の先生」という存在も、内地と北海道ではかなりニュアンスがちがう。内地の学校教師は、どこまで行っても学校教師だが、北海道はちがう。あまり、学校教師という側面を期待されていない。それよりは、地域の有名人であり、(言ってしまえば)地域の「スター」といった方が適切なのではないか。甘やかされているのではないか…と思うこともある。参観日の父母の中に、ごろごろ東大や一橋卒の親が立ち並んでいるような緊張感も味わったことのない人生は、平和そのものだ。

 先生んちからの帰り、すっかり酔った仲間たちは雪の道を肩を組んでヤッホーとか叫んで歩いた。私はその仲間に入れてもらえただけで嬉しかった。東京へ帰ってからもみんな仲間であって、駅前のパン屋さんの息子も、炭鉱でお父さんが亡くなった人も、みんな大変な思いをして東京で学んでいるのだ、ということを東京生まれの私は少しずつ知った。

 森まゆみは、その異文化が気に入ったみたいですね。私は、その逆です。東京に出て、北海道出身者の(有り体に言えば)「低学力」「無教養」みたいなものにはじめて気づいて、それと自分とどう折り合いをつければいいのかわからない時代が長く続きました。(今でも続いているのかもしれない…)

 夫と別れることによって私は北海道育ちの仲間をみんな失った。北海道には長らくつらくて行けなかった。夫だった人の両親は「いったん家族になったんだから気にせずまた来てください」と季節ごとにジャガイモ、緑あざやかなアスパラガス、塩鮭やイクラを送ってくれる。
 そうした宅配便をあけるごとに、はじめて行ったあの雪の町、ハラヤマ先生の笑顔を私は思い出す。どうしてるかな。

 ほんとに、どうしてるかな。
 
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 石狩の空知郡の
 牧場のお嫁さんより送り来し
 バタかな。

 岩見沢や新十津川は、現在の区分では「空知」郡になりますが、啄木の昔から「石狩」と呼びならわされてもいます。私の感覚でも、北は「厚田」「増毛」あたり、東は「滝川」「夕張」あたりまでは「石狩」のカウントで使っています。その方が違和感がないので。