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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



一月の小樽 (二)
 
 

 笠原の証言によれば、樺島燿子が今日あるのは、ひとえに、彼女が先祖からうけ継いだ財力のお蔭だというのである。(中略) 樺島家は、旧華族の家柄であった。それはいいとして、三枝が驚いたことにい財力の根源は、実は、北海道にあった。北海道の岩内郡、共和町から岩内町にかける辺り一帯。ニセコアンヌプリの北麓にひろがる沃野であると同時に、かつては、ニシンの宝庫としてしられた場所でもある。燿子の曾祖父は、そこでの大地主だったという。牧場経営とニシン漁で財をなしたという。
(関口甫四郎「小樽玻璃街殺人事件」)

 ふーん。

 「それだけじゃないんです。彼女の祖父の代には、小樽に進出して、ニシン漁業は当然のこととして、商業から内外貿易、しまいには、銀行経営にまで、触手を伸ばしてたっていうんですからね。いくら、芸術家肌の先代になって、商売から手をひいたにしても、それまでに蓄積した膨大な財力が、いまでも物をいうわけですよね」

 関口甫四郎の「小樽玻璃街殺人事件」。「玻璃街」と書いて「がらすのまち」と読みます。

 「ガラス」ねー。何度も、何度も、何度も語られた小樽。フツーの小樽。

 最近、大震災以前の小説を読むの、ちょっと気が重い。特に、こういうの。小樽自体が、震災があろうと、メルトダウンが起ころうと、今日もカラオケに集まって、ニシンの思い出話や過去の繁栄を偲ぶしか能がない老人の街だとわかっていますから、なおさら。

 『ヴェネツィア美術館』を観たあと、いちど色内本通りにで、そこで、大正期建物群……“旧北海道ウォール街”の街容をカメラにおさめたあと、市文庁舎の二階に、『小樽市立文学館』を訪れていった。運河周辺での取材予定をこなし、さいごの取材予定地……富岡の、旭展望台にむかったのは、午後五時すぎである。船見坂の急坂をのぼりつめ、カラマツ樹林のなかの遊歩道をたどる天童の周囲に、夜闇が迫ってきていた。

 字、まちがっているよ。「市文庁舎」じゃなくて、「市分庁舎」。文学館や美術館があっても、「分庁舎」。(もう「分庁舎」とすら言わないのかな。ちまちま人形を飾るようになってからは行ったことないので、よくわからん…)