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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十二月の京極
 
 

 東京極駅開設さる
 昨年十月初旬以来札幌鉄道局の指名により中村組が施工していた東京極駅が、モダンな鉄筋コンクリートで完成いたし、去る十二月十七日から営業を開始しました。
 当日は午前十一時より東京極駅前と公民館に於て記念式と祝賀会が催され、…
(広報きょうごく 第68号/昭和38年1月)

 というわけで、昭和37年12月、東京極駅、開業。小さな町の、小さな歴史。このホームページでは小樽や後志のいろいろな文物を書くけれど、書いていていちばん楽しいのは、じつは、こういう小さな歴史です。今、昔の広報の復刻作業をしているので、けっこう良い題材が増えて私はうれしい。

 私設胆振縦貫鉄道時代には、三条通りの踏切りの南西の所に「東京極停留所」があった。ところが昭和19年7月1日、この鉄道が国有に移管された時に、東京極停留所は廃止となった。
 昭和30年に旭団地が設定されるとともに市街南東部の戸教はにわかに増加した。そこで、市街有志の人々の間から、元の東京極を駅に復活しようという動きが起きて、さっそく陳情運動を開始した。
(京極町史/東京極駅の設置と胆振線)

 胆振線、東京極駅。名前に「東京」が入っていることから、わざわざ東京から高橋圭三や氾文雀(「サインはV」ね…)が訪ねてきたこともありました。あと、準急「いぶり」か。札幌始発で、一車が千歳・伊達紋別をめぐって札幌へ帰る循環線。そして、もう一車が、今度は反対に倶知安・京極をまわって札幌に帰るという、なかなかに変わった準急列車ということでも有名でした。
 でも、いちばんの話題といえば、やはり「女が守る駅」でしょうね。昭和38年4月から民間委託駅へ。京極駅長から東京極駅長に移った石岡泰蔵氏が昭和47年に退職した後は、日本交通観光KKが請負うことになり、ここに、女子ばかり3人が駅を守る「東京極駅」が誕生しました。当時の華やかさを伝える新聞記事があります。

 “女が守る駅”を表彰 国鉄道総局 (北海道新聞 昭和48年11月14日)

<東京極駅> 大元順子さんが駅長格だが、五十嵐よう子さん、重金晴江さんの三人とも二十歳。来年一月には一緒に成人式を迎える。感謝状の知らせに「聞いてはいましたが、冗談とぱかり思っていました」と、意外そう。
 同駅は一日の乗車人員が二百三十人の小さい駅。勤莇は午前六時から三交代だから、日曜、祝日でも仕事がある。でも、三人は「夢中で働いているうちに、間もなく二年になります。お客さんたちも協力してくれますし…」と、静かに喜びを分かち合っていた。

 二十歳の娘さんたちの笑顔、いいですね。ほぼ、キャンディーズ状態。
 笑顔つながりで、こちらの記事もご覧ください。胆振線・寒別駅の小上さんも京極の人です。

 「ナウいね」ママさん駅員 (北海道新聞 昭和57年5月9日)

 「ナウいね」か… 昔の新聞記事を見てると、「モダンな」とか「ヤング」とか、こういうの、じつは大人たちが喜んで使っていた言葉ではあったことを思い出します。

 昔の資料を復刻製本してばんばん配っていると、「おー、こういうのならウチにもあるぞ!」という反応も出てきます。上の新聞記事も、新聞縮刷版から探し出したものではありません。ある人が昔作っていた新聞切り抜き帳を図書館に寄贈してくれたのです。とても、ありがたい。意図が単純明快だから、めざす記事にどんどん行き着く。ご時世だから、iPadも使うけれど、昔のアナログな努力にはまだまだ威力はありますね。