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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十二月の京極 (一)
 
 

 監獄部屋といわれた人夫の飯場は、トンネル口の所と駅近くの二か所にありました。長屋のような宿舎の中央の土間をはさんで板敷の両側の床には、枕木を一列にならべ、人夫の枕にさせ、朝は枕木を金づちでなぐって目覚めさせると聞いていました。働けなくなった病人や逃亡者はリンチを受け、死亡すると線路の近くにうずめるのだといううわさもありました。後年トンネル西口近くの畠でプラオの先に人骨がひっかかって出たことが幾回かあり、畑の持ち主(八木沼さん:近くの住人の話)は転地しました。
(京極町史/佐古岡万兵衛証言)

 この「監獄部屋」とは、大正七年初冬に開通した東倶知安線(京極線)建設のためのタコ部屋。その、酷使、虐待、使い捨ての凄惨な現場を描いた作品として沼田流人の「血の呻き」が有名です。

 ある年の秋、近くのトウキビ畑にひそんでいた逃亡者が暗くなって私の家にかくまってほしいといって来ました。夜明けの三時ころまでかくまって、百姓姿に変装させて逃がしてやりました。工事が終った年の十二月に礼を言うためにたずねて来ました。何か仕事があったら働きたいというので、一冬鉄道の除雪人夫にせわしてやりました。タコ部屋では猛犬を飼って逃亡に備えていました。
(同証言より)

 自分たちがつくった鉄道に、今度は除雪人夫として関わって行くというのもなかなか皮肉な話ではありますね。先ほど「血の呻き」を持ち出しましたが、このタコ部屋の話は近隣に轟いており、沼田流人ひとりがスクープ的に告発の筆をとったというものではありません。当時の倶知安村、東倶知安村(現・京極町)の住民なら誰でもその残酷な噂話を耳にしていましたし、佐古岡氏のようにタコ部屋からの逃亡者に実際にかかわった人たちも多々存在します。当時の「小樽新聞」「北海タイムス」などもとりあげています。

 沼田流人の小説「血の呻き」。大正十二年六月、叢文閣から出版。ただちに発禁処分を受けた。(と思われるが、その確認はまだとれていないそうです) でも、発禁処分だったんでしょうね。今でも、そこら辺の図書館に行ってホイホイ閲覧できるような本ではありません。(道立図書館にあるのは知ってるけれど、江別まで行くの面倒くさい…)
 通常、私たちが読める「血の呻き」とは、大正十五年九月、雑誌「改造」に「地獄」のタイトルで発表された作品でした。「血の呻き」の中編にあたる部分、タコ部屋の実態を描いた部分を取りだしたものです。ただし、この「地獄」は、あまりに伏字が多く、作品としての体をなしていませんでした。でも、これしかない。私たちは今まで、「北海道文学全集・第六巻」こ再録された、この伏字だらけの「地獄」を長らく「血の呻き」だと思って読んでいたのです。

 その事情が大きく動くのが、昨年(2010年)の暮れです。札幌郷土を掘る会が「札幌民衆史シリーズ」の第11巻として「小説『血の呻き』とタコ部屋」を発行したのです。その中で、「血の呻き」の「地獄」にあたる部分を、伏字を外して完全復刻してくれたのです。「血の呻き」の第17章から第35章に渡る部分。その、第17章は、こんな風にはじまります。

 彼は、自分の行くべき場所へ行く為に、路を歩いていた。
 彼は、病人のような悩ましい、深い睡りに陥ちていた。明三は、S町の南辻で街灯の光りで、電柱に張られた、土工人夫募集の辻ビラを読んでいた。
 『やあ、先生。』
 突然どこかの暗がりから現れた男が、彼の肩に手をあてて呼んだ。明三が振りむくと、酒臭い息を吐いて、そこに雪子の父が立っていた。
 『どちらへ…。』
 『遠い所へ。』
 『遠い…?。どうして。』
 片眼の男は、彼をじろじろ見ながら言った。
 『行き度くなったから…。』
(沼田流人「血の呻き」)

 おおーっ!って、思いましたよ。これ、本当に「血の呻き」なの?って。
 「行き度(た)くなったから…」。このオープニング、凄いじゃないの!

 『何だい。お前は…。』
 『土工人夫に雇われたいと思ってやって来たんですよ。』
 『土方に…。お前さんが…。働いた事があるかい。』
 その男は、嘲るような笑い方をした。
 『ありますよ。よく性懲もなくつまらない働きを繰り返して来たものです…。』
 彼は、独言のように、嘆息して言った。
 『ふうむ。まあ這入りなせえ。所で、前金は…。』
 『金、僕あ、そんなものは要らない…。」
 『金が、…要らない…。そして…。』
 『いや、唯、そこへ行った方がいゝと思うんですよ。だから…。』
(同書より)

 いやー、まいった… 「血の呻き」って、こんな小説だったの! 「蟹工船」なんか、全然問題じゃないですね。(江別、行こうかな…)
 
*****

 「血の呻き」のことは、また、書きますね。(まだまだ、書き足らない…) ここで、ちょっと、蛇足です。「小説『血の呻き』とタコ部屋」の中に、へぇーっ!と思う記述がありました。

 流人は岩内郡老古美(共和町)で母沼田カツと父石川(啄木の遠縁、名前不詳)の間に生まれた。

 ほえーっ、啄木の血筋なのか… これも吃驚。