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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十二月の小樽 (一)
 
 

予の日報に書きたるもののうち当時を紀念すべきものを抜萃して「小樽のかたみ」を作る。
(石川啄木「明治四十年丁未歳日誌」/十二月 −小樽−)

 今年はいろいろなことがあったけれど、個人的な大ニュースをひとつだけあげろと言われたら、やはり、函館市文学館で「小樽のかたみ」実物を見たことになりましょうか。(「ハルカヤマ」ってのもあったが…) 企画展「石川啄木遺品展〜百回忌によせて〜」で実物を見、学芸員さんのお話も聞けたので、今まで疑問だった点がかなり解消されました。まずはあの写真から。
 

 どの啄木アルバムを見ても、この写真。これが「小樽のかたみ」だと言う。でも、ちょっと不思議ではありませんか。どうして「小樽日報と予」だけ取りだすことができるのだろう。一冊のスクラップ帳に、なにか挟み込むような形で「小樽日報と予」は付けられているのでしょうか。
 あるいは、表紙と思われる左側の部分なんですが、この上下の縁にある三角の黒ずみが、なにか図書館で使うパンフレット・バインダーを連想させるのです。もしかしたら、これは「小樽のかたみ」の表紙ではなく、函館の図書館なり啄木会なりが本体保存のために付けたカバーなのではないかとも思っていました。
 ちょうど本体の「小樽日報と予」のページを開いて、その脇に、これが「小樽のかたみ」であることを証明するためにカバー部分を添えたのだろうか?とか。それにしては、「カバー」の字体は啄木の字体そのものですから、やはりこれが「表紙」なのかなぁ?とか、あれこれ疑問だったのです。

 この「小樽のかたみ」は、縦二十一・二センチ、横十四・五センチの洋横罫ノートに、厚手のクリーム色の表紙と裏表紙を付けた手製の切り抜き帖で、表紙には「小樽のかたみ」と標題が毛筆で書かれ、その下にえぼしに似た冠の絵が印刷されている。
(筑摩版・石川啄木全集/岩城之徳「小樽のかたみ」について 解題)

 岩城先生の言っていることとかけ離れています…
 

 小汚い絵で申し訳ない。これが「小樽のかたみ」表紙です。クリーム色の地に、上のような絵が描かれています。
 なにせ、館内撮影禁止。函館市文学館の職員でさえ資料に触ることはもちろん、レプリカでさえそう簡単にいじれるようなものではないらしいです。(レプリカでさえ、置き方、開くページまで細々と函館啄木会の指示があるらしい…)
 昔は、なにか、名のある研究者の紹介状とか、啄木会の依頼書みたいなものがあれば、見せてくれるんじゃないかとか甘いことを考えていたもんですけどね。どうやら、そういうものではないらしい。(じゃあ、誰が見られるんだよ?)
 名もない私には、ガラスケース越しに拙い模写をするのが精一杯でした。

切り抜き帖は紙数百十二枚二百二十四頁のノート中六十一枚百二十二頁を使用しており、見開き二頁目には「小樽のかたみ 明治四十年神無月より 師走まで」と毛筆で縦に書かれている。また四頁目にあたる内扉には「抜萃帳 明治四十未歳 神無月より師走迄」と同じく毛筆で書かれ、さらに、六頁目には「小樽日報と予」と題する序文がペン字で横書きされ十一頁目で終っているが、その標題は毛筆で左から右へ書かれている。スクラップされた「小樽日報」の記事は、十二頁目の「初めて見たる小樽 石川啄木」が最初で、欄外に「No.1 October 15, 1907」の記載がある。最後は百十八頁目の「そば屋巡査に泣付く」で、そのあと百十九頁目に「退社広告」があり、百二十頁に友人の沢田天峯(信太郎)の「石川啄木兄と別る」の文章が収められている。最後の二頁には前主筆の岩泉江東の明治四十年十一月十六日付の「最後の一言」と漢詩文「聴追分」が掲げられてこの新聞切り抜き帖を終る。
(同解題)

 まず、私たちが「表紙」だと思っていた部分、あれは「標題紙」でした。本の造りでいうと、表紙を捲ると見返し。その見返しをさらに捲ると本の題名や著者名が書いてあるページが出てきますね。それが「標題紙」です。だから、「小樽のかたみ」というタイトルの脇に「明治四十年神無月から師走まで」という野暮ったい副題も入っていたのでした。そこを捲ると、「小樽日報と予」、そして日報記事の切り抜きと続いて行くみたいです。(表紙しか見られないから、それ以上はわからん…)

 ここで、ひとつ、お詫びです。これだけ厳重な警戒に取り囲まれている啄木資料なのに、どうして荒木茂氏は「小樽のかたみ」の中の桜庭チカの絵をコピーすることができたのだろう?と思いはじめました。そこで、函館から帰ってきてから、「北海道自動車短大研究紀要」第13号の荒木茂論文をもう一度確認した次第です。

 「小樽日報と予」附記に『所々に挿入したる木版画は予の嘱を享けて桜庭ちか子女史が日報の三面に画けるものなり。』とあるが、これは現在まで紹介されたことがないと思われるので、その箇所を示し、後に図柄を掲げる。
 前述の如く、「小樽のかたみ」及び同複写の複写機による複写、写真撮影は一切許されなかったので、「えんげい」の装飾文字以外はほぼ現寸大の模写である。
(荒木茂/「小樽のかたみ」について・1)

 ああ、なるほど。あれは、荒木先生の模写だったんですね。たいへん失礼しました。数年前の小樽啄木忌の私の講演「小樽のかたみの面白さ」で、無造作に「これが桜庭チカのカットです」とやってしまいました。「小樽啄木会だより」でも何回かやってしまっているかもしれない。恥ずかしい。二度としませんから、どうか赦してください。
 
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 函館の帰り道、車を運転しながら猛然と腹が立ってきた。「小樽のかたみ」を見るために、なんで函館に行かなきゃならないの…ということはこの際置くとして。(啄木を殴った街なんだもん、これくらいの罰は当然と思ってます) ただ、レプリカまでガラスケースの中なんて、ちょっとおかしいんじゃないの! レプリカ作るために撮った写真原版だってあるんだろう。それを使って冊子版を作ることくらい、どうしてできないんだろうか。あのガラスケース眺めて、何を「研究」すれっちゅうのさ!