十一月の札幌 |
小野寺が、懐中電灯で案内板を照らした。 こう読むことができた。 「大菩薩峠六十分 大菩薩嶺九十分 花ちゃん山荘二十分」 宮野が小声で言った。 「大菩薩峠なのか」 吉本が、民雄たちその場の三人を見渡してから、微笑して言った。 「おれたちの訓練地だ。おれたちのシエラ・マエストラだ」 最後の言葉が何を意味するのであったか、民雄はわからなかった。聞いたことのある言葉ではあるのだが。 宮野が民雄の想いを察したのか、小声で教えてくれた。 「キューバ革命のときの、カストロたちの根拠地だよ」 吉本がもう一度言った。 「おれたちの武装蜂起の始まる土地だ」 民雄は確認した。 「おれたちって?」 吉本は、もう明かすしかないかと言うように微笑した。 「共産同赤軍派だ」 昭和四十四年十一月三日の夜だった。 (佐々木譲「警官の血」) 安城民雄。警視庁公安一課の潜入捜査員。配属こそ東京月島警察署地域課の警官となっているが、実態は北海道大学教養課程の二回生。新左翼情報の収集にあたっている。北大ブントの吉本信也の動きに不穏なものを感じ、佐藤訪米阻止のための上京の誘いに乗ったふりをして、辿り着いた先が大菩薩峠だった。 たしか、「福ちゃん荘」だったかな。大菩薩峠の武装闘争訓練のために集められたブントのシンパや反戦高校生たち。「警官の血」には、この「七十年安保」直前の日々がくっきりと正確に描かれているので、ちょっと怖い気持ちにもなりました。 この時、私、高校の二年生です。赤軍派のオルグ隊は結局青森県の弘前大学で止まって引き返して行きました。もしも、北海道に渡ってきていたら、大菩薩峠「福ちゃん荘」の一斉検挙に知り合いたちの姿を見つけることもあったのではないだろうかと思います。あの頃は、ノンセクトでも高校生でもなんでも、数さえかき集められればもうなんでもいいや…みたいな雰囲気がたしかにありましたね。「で、結局、あんたは、やるの、やらないの」というのが、当時のオルグ隊の殺し文句だったそうだから。 「ただ、何か?」 「はい」民雄はきょう午前中の、吉本とのやりとりを思い出した。隠したって、わかってるよ、という言葉。あれはどういう意味だったのだろう。まさかあんたが警視庁警察官だと知っている、という意味ではなかったはずだが。「もしかして、この誘いは、ぼくを警官だと知っての罠かもしれないという気もするんです。捜査をミスリードするために、あえてセクトにも入っていないぼくを誘ったんではないかと」 笠井は電話の向こうで軽く笑った。 「その心配はない。連中、いまひと集めに躍起なんだ。大阪でも東京でも、高校生にまで投網をかけてる。あいつらはいま、思想より何より、元気な肉体が必要だってことだ。お前も、そのガタイが買われたんだ」 まだ「あさま山荘」事件は起こっていません。あの連合赤軍の逮捕者たちの口から続々と出てくるリンチ殺人の凄惨な情景によって、「赤軍派」イメージというか、新左翼イメージは大暴落して行くのですが。 「警官の血」は、その前の時代、「大菩薩」や「よど号」が肯定的に語られることすらあった世相を正確に描き出しています。凄いのは、その解析力。たとえば、なぜあのリンチ殺人は引き起こされたのか?を考える時、その発端こそが「福ちゃん荘」に他ならないのだから。 大菩薩での一網打尽によって人員を失った赤軍派は、全然路線がちがう京浜安保共闘との合同に向かって動き出します。M作戦(金融機関強盗)による資金力はあったが、武器がない赤軍派。みんな獄中で、もう、森恒夫みたいな二軍クラスの幹部しか残っていない。一方の京浜安保共闘も、真岡銃砲店襲撃事件などで猟銃を手に入れていたが、今度は闘争資金がない。あの連合赤軍のリンチ殺人事件とは、結局、この両派の関東山岳ベースでの主導権争いのなれの果てだったといってさしつかえないと思う。 その現代史の重要起点に、物語としての破綻なく安城民雄の人生を重ねて行くというのは、なかなかに頭脳的な作業と感じましたね。ちょっと切ない気持ちにもなって、安城家三代の「警官の血」を堪能しました。 |