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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十一月の小樽 (一)
 
 

 松川雪乃は、六日遅れで東京から届いた新聞を握りしめたまま、もう一時あまりも端座していた。涼しく張った目は、ひたと紙面に注がれて、揺らぎもしない。浅紫の矢緋の膝も、西洋下げ髪に蝶結びした撫子色の幅広リポンも、微動だにしなかった。(中略)
 宵闇が座敷を抱き抱えても、雪乃は、ただじっとその記事を見つめ続けていた。
(蜂谷涼「煌浪の岸」)

 明治42年11月3日の小樽、煌浪亭。若女将の松川雪乃は、伊藤博文暗殺の一報になぜ心ふさぐのか。そして、もうひとり。煌浪亭をめざし、雪の堺港通りを歩む平野わか。

 降り積もった雪が、藁靴の下できしみ声を上げていた。立岩通りの手前まで来て、平野わかはふっと歩みを止めた。
 波の音が違う……。

 蜂谷涼さんの文章、美しいと感じるのはこんなところです。「波の音が違う…」と。

 音がちがうのは、南北の防波堤工事が完成しつつあるから。明治30年に着手された防波堤築造工事は、41年にまず北防波堤が竣工。一度は嫁入りで煌浪亭を出たわかが出戻ってきた大正3年の11月、南防波堤が平磯岬の突端からどんどん北防波堤に向かって腕を伸ぱしつつあったのでした。通りの名の由来にもなっている立岩も明治末に埋め立てられ、樺太航路の汽船が発着する岸壁に姿を変えていた。だから、波の音がちがう。時が経ったのだと。

 小樽の歳月の移り変わりをこのように表現する人、あまり知りません。歴史知識があれば誰でも書けるってもんじゃない。物語る心のない人には、ついに無縁の世界です。啄木も「うたふことなき」と言っているではないですか。煌浪亭の初代主・松川勇左衛門なら、「己(おのれ)の目印」か。

「昔、小樽にやってくる北前船はな、立岩を目印にして港に入ったもんじゃ。わかや、人も船と同じじゃよ。目印を見失っちゃあ、沖に流されていっちまう。腹の底に己の目印、己の立岩を持っていなけりゃいかん」