十月の余市 |
一九四五年(昭和二十年)十月中旬、札幌に進駐してきたばかりの連合国軍司令部から、カービン銃で武装した二台のジープが砂煙をたててとび出した。 二台のジープは小樽へ向かう海岸道路を西へ西へと猛スピードで走った。彼らが目ざす先は余市だった。小樽市内を突き抜け、塩谷の峠にさしかかると、さらに速度を上げた。 (早瀬利之「リタの鐘が鳴る」) うーん、カッコいい書出し。リタと竹鶴の物語をここからやるか。 ジープが国道5号線を余市へ急いだ理由は二つあった。 一つは日本人のウイスキー製造者と結婚して余市に住むスコットランド人の女性、旧姓ジェシー・ロベルタ・カウンを庇護することだった。 ジェシー・ロベルタ・カウンは大日本果汁(後のニッカウヰスキー)社長の竹鶴政孝の妻で、戦時中は日本の特高警察の監察下に置かれ、精神的圧迫を受けてきた。彼女の存在はすでに米軍に伝わり、さっそく、その無事確認に出かけたのである。 そして、もう一つの目的はウイスキーの確保にあった。 (同書より) でしょうね。近年、ニッカウィスキーは段違いに旨いです。ちょっと奮発して、竹鶴が晩酌で呑んでいたという「ハイニッカ」クラスのウィスキーまで頑張れば、もう違いは歴然。そもそものモルトがちがうんだろうか。 余市が空襲を受けなかったのは、このウイスキー工場とリタがいたからといいます。敗戦間近の昭和二十年六月の余市空襲でも、一機の米軍爆撃機B29が余市上空にあらわれましたが、低空で飛ぶB29はウイスキー工場を確認するように一度翼を左右に振り、そのあと、工場から2キロ先にある水産試験所を機銃掃射しただけで飛ぴ去りました。余市が標的になったのは、あとにも先にもこの時だけ。 五、六人の兵隊がいっせいに銃をとり、工場の内と外に向かって攻撃の構えをとった。そのあと一人の将校がジープを降り、正面の小さな平家の事務所のドアを蹴った。 「ミスター・タケツルに会いたい」 西部訛りの英語には相手を威圧する響きがある。 事務所にいた竹鶴政孝は、突然の来客の姿に驚いた。そして流暢な英語で、 「私が、竹鶴です。よくこられました」 (中略) 将校は声を落とし意味ありげに言った。 「あなたの夫人、ジェシー・ロベルタさんは、ご無事でしょうね」 「はい。今、連れて参ります」 竹鶴は事務員を自宅に行かせ、夫人を呼び寄せた。 間もなくジェシー・ロベルター、愛称リタが将校の前に現れた。 蒼い目に鳶色の髪をしたリタは痩せて、心なしか青白い顔をしていた。スパイの疑いで終戦直前まで特高警察に監視され続けて以来、ノイローゼ気味になり人間不信に陥っていた。 (同書より) この日、米軍将校はリタの護身用にと、ライフル銃と百発の弾丸を置いて行こうとした。リタはそれを「この町は平和なところだから」と断った。 すると将校は、にやりと笑ってこう言った。 「もう、冬が近づきます。この辺りは熊が出没するはずですよ。お分かりでしよう?」 すかさず夫の政孝が、 「そう、熊撃ち用に必要だ。サンキュ、ベリイマッチ。そのかわり、私の方もプレゼントがある」 (同書より) で、ニッカウィスキー。米軍将校は、こりゃあ、いいところに来たもんだ!と思ったでしょうね。私も、一ダース入りの木箱、欲しいなぁ。 なんか、こういう話、田上とバチラーの出会いみたいな、夢みたいな話ですね。ま、リタと竹鶴の出会い自体が、夢みたいな話ではありますけれど。 |