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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十月の小樽 (二)
 
 

 『若い詩人の肖像』は伊藤整の北海道・小樽市を舞台にした、自伝的な小説である。主人公の「私」は、恋人の根見子と、いつも野外で愛しあっている。しかし、冬に雪がつもると、屋外はつかえない。そこで、しぶしぶソバ屋の二階をかりるようになる。
(井上章一「愛の空間」)

 「愛の空間」は「日本近代ラブホテル史」とでもいえばよいのだろうか。カッコいい本。その論証には、研究文献や新聞記事ばかりではなく、明治から昭和に至る数多くの小説作品も動員されてきます。思わぬ角度からの伊藤整氏の登場に、場内騒然。

 そう、北海道の小樽でも、恋人たちはしばしばソバ屋の二階を利用した。この点は、東京とさほどかわらない。だが、よく読むと、妙な箇所がひとつある。『若い詩人の肖像』で、「私」は小樽のソバ屋を、こんなふうに説明するのである。
「根見子は、蕎麦屋へ行くことを提案した。蕎麦屋というのは、この地方で淫売屋の異名であり、町のある部分には蕎麦屋のノレンをかけた船員相手の淫売屋が何軒も続いていた。でも、そんな家でない本当の蕎麦屋もあるらしい、ということが彼女の話で分った。次の日の午後、私と根見子と、そういう場所から離れた所にある蕎麦屋へ入った」
(同書より)

 小樽の蕎麦屋は、基本が「淫売屋」。しかし、整と根見子の二人は、そんな売春の牙城みたいな場所をもちろん拒否する。そこで、「本当の蕎麦屋」という不思議な表現になる。

 「本当の蕎麦屋」と聞けば、たいていの現代人は、つぎのように思うだろう。そこへいけば、ソバをたべるだけ。二階を性愛用にレンタルするなんて、とんでもない、と。
 だが、「本当の蕎麦屋」は、二人に二階をかしてくれた。そう、「本当の蕎麦屋」が、そういうことをしたのである。そして、「本当」でない、大半のソバ屋は商売女に、場所をかしていた。しろうとの女は、とても近づけないようなところだったのである。
(同書より)

 へえーっ、そうなのか。読みが足りなかったな。小樽のことならたいていは知っている…という頭で読むから、こういう大事な場面を読みちがえてしまう。
 大事な箇所ですよ。私も、伊藤整という人がどういう人かを語る貴重なエピソードだと思っています。そう、「若い詩人の肖像」は、それほど爽やかな青春小説ではないんです。特に、この根見子との絡みあたりは。けっこう後味悪い。運良くセックスフレンドにめぐまれた学生の自慢話なんか、ほんとうは誰も読みたくはない。「若い詩人の肖像」って、昭和32年発表、伊藤整52歳の時の作品なんですね。(私は52歳を経験していますから、こういう「根見子」の思い出を書く伊藤整の魂胆がよくわかる)
 井上章一さんがエライのは、こういう箇所をビシッと引用してくるところ。通学列車での初恋だの、宿直室での処女詩集「雪明りの路」だの、読みたい伊藤整だけを読むファンたちの対極にある人ではないだろうか。でも、伊藤整の本質を考える時、どちらが有効かは言うまでもないだろう。井上さんの論考は、けっして伊藤整という人間を貶めるものではないと思いますね。そして、同じことは小林多喜二についても。

 伊藤整は、小樽高等商業学校を卒業した。その同じ学校へかよっていた先輩に、プロレタリア作家の小林多喜二がいる。じつは、その小林にも、小樽のソバ屋をえがいた小説がある。『滝子其他』(一九二八年)が、それである。
 標題にもなった滝子は、私娼として、越後屋というソバ屋につとめている。その越後屋へ、ある日三人の男がやってきた。二人の男は、たちまちその場で自分の相手になる女を見つくろい、つれていく。
 あとへひとりのこされた若い男が、滝子と語りあうようになる。だが、男はなかなか滝子の体をもとめない。年を聞いたり、身の上をたずねたりといった風で、性交は回避しようとする。以下に、男が滝子へ問いただす場面から、ひいておく。

  「……どうしてこんな所にいるの。」
  男はまんとの襟のあたりをいじりながら、きいた。滝子はちらっと男を見た。
  「ここはね、越後屋っていうソバ屋でしょう。分る? 貴方の商売は何に? ……裁判所の方?……市役所の方? ――戸籍係?」
  男は独言のようにロの中で何か云った。そしてソワソワして立ち上った。滝子は見向きもしないで、
  「どうするの?」ときいた。
  「君……こんな商売いやだとも思っていないのか……本当の、いい生活をしたいと云う風な……。」男は顔を真赤にして早口に云った。
  「もう、連れの方は×××。ここに×××してるんだもの、×××××××?」
(同書より)

 長い引用で申し訳ない。伏字って(不謹慎だけど)今となってはなぜか面白いですね。×××も、×××も、××××××だもの、××××××? なにか、いくらでも、小説書けそう。