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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



九月の札幌 (二)
 
 

 初めて北海道へ渡ったのは、洞爺丸事件があって間もなくだった。
 その折の記憶がなぜ薄れているのかわからぬが、船上から遠い岸の近くで横倒しになっている洞爺丸の船体を見たようにも思うし、そうでもないようでもある。その癖、青森から乗った船の名が「羊蹄丸」だったことははっきりとおぼえている。
(吉村昭「タラバ蟹の記憶」)

 ――執筆に入る時、私は「また蝦夷地か」と思う。吉村昭とは、そんな作家。

 吉村昭が初めて北海道に入ったのは昭和29年9月、27歳の時。自ら起業した繊維会社の資金を回転させるために、前年に結婚したばかりの妻・津村節子との二人旅。東北や北海道の各地を、セーターを売り歩いた。その旅の光景が、津村節子の小説「さい果て」に描かれている。

 雪原をゆく汽車の旅が物珍しく、さらに終着駅根室に下り立った折の印象も忘れがたい。
 地図では見ていた北海道の果ての根室が、「ねむろ」という駅標を眼にした瞬間、「やはり地図にある通り、根室は実在の町だったのか」と、妙な感慨にうたれたことをおぼえている。
(同書より)

 吉村昭の文章、巧いのかどうか、よくわからない。でも、五感(特に視線)の波長が自分に似ているような気がして、私は好んでいます。吉村昭の小説は、過不足なく、必要なものを私に見せてくれる。土地の音が聴こえてくる。

吉村 最後の残品を、おまえが戸板の上に並べて売ったね、帰りたい一心で。ネッカチーフなんか頭にかぶって、雪が降っているんだな。おれはすぐ前の宿屋で小説書いていたんだ。(笑) ひょっと下を見たら、おまえの頭の上がまっ白になっているんだ。これは一生借りができたと思ったな、あのときは。
(「旅」昭和45年7月号/吉村昭・津村節子対談「心ひかれる北国の風景」)

 吉村昭の感度の良さは、まわりの人間たちの感度の良さに広がってゆくのではなかろうか。

 旅行を好むのは、行先でその土地の酒を飲み、食物を口にする楽しみがあるからだ。自分の好みに合った店がある土地へ行くおりは、殊に気持がはずむ。
 好きな土地は数多くあるが、札幌もその一つである。(中略)
 まず、「鶴」という店へ行く。感じのいい夫婦がやっている店で、私の好みに合った店である。初めに竹の器に入った味噌汁が出て、それから升酒を飲む。升の角に塩をのせて飲む。酒は剣菱の樽酒である。
(吉村昭「札幌の夜」)

 いつまでも、引用しつづけていたい。吉村昭に限っては何も苦にならない。(中略)などという無粋な真似を本当はしたくないのだが…

 「鶴」を出ると、「やまざき」というバーへ行く。経営者の山崎さんは、バーテンダー協会の幹部で、その世界ではバーテンダーとしても人間としても尊敬されている。
 東京以外に、私はボトルを置いているバーが二店ある。長崎の「マドリード」とこの「やまざき」で、南と北にあるわけだ。
「やまざき」は、山崎さんの性格そのままの清廉な店で、女性も制服をつけ、カウンターの中から礼儀正しく応対する。なごやかでおだやかな雰囲気で、気持がなごむ。
 中国の珍しい酒や、銘柄も知らぬワインを飲ましてくれることもある。山崎さんは日曜画家で、自作の絵が壁にかけられているが、その絵に眼を向けると、恥かしそうに落着きを失う。それが、面白い。
(同書より)

 絵に眼を向けると、恥かしそうに落着きを失う山崎さん。きちんとそれを見ている吉村昭の視線。鋭いなぁ…と思います。この山崎達郎さんも「BARやまざき」という本を出していて、ここで紹介しようと考えていたのだけれど、調子に乗ってばんばん引用を繰り広げたおかげで山崎さんのスペースなくなってしまいました。また別の機会に。
 「やまざき」を出ると、Kという女のいる店に行く。男っぽい口調の女で、とりとめもないことをしゃべりつづける。その頃になると、時刻は十一時を過ぎ、ラーメン屋街でラーメンを食べ、ホテルに帰る。

 札幌へ行くと、以上述べた三店をまわることが習わしになり、それで十分満足する。
 脚部に疾患があり寒気は害があるので、札幌へは夏に行くだけになった。今年の九月初旬にも行ったが、一年ぶりで、来年の夏までは行くこともないだろう。
(同書より)

 もう、札幌に来ることはできない。とても悲しい。