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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



八月の後志 (一)
 
 

 星の夜ぞらのうつくしさ
 たれかは知るや天のなぞ
 無数のひとみかゞやけば
 歓喜になごむわがこゝろ

 ガンジス河のまさごより
 あまたおはするほとけ達
 夜ひるつねにまもらすと
 きくに和めるわがこゝろ

 九條武子の詩、「聖夜」。いいですね。これは歌にもなっていて、作曲はなんと中山晋平。九条武子の作品自体も(本の入手が難しいかと思っていたのだけど) 「J−TEXTS 日本文学電子図書館」 というHPからなんなく随筆集 「無憂華」 をダウンロード。この「聖夜」も簡単に読むことができました。ありがたいことです。

  すゝきの穂蘇枋の糸に秋草のちぐさゆはへて高くゆれをり
  めぢのかぎり灌木の原草の原たゞ秋風の吹きよぎるのみ
  つゝましき思ひの色とめでてましむらさきの花あまた咲きをり
  荒磯に烏むれとび北海のまひるさびしうふりいでし雨
  大いなる海と陸とを真白波正しき線にたえずゑがけり
 野辺、原野、森林、汽車はそのなかをひたはしる。ひろ/゛\とした野のはてに、はるかに山脈がかさなつて見える。こゝらには村もないのであらうか、人のあゆむ道もついてをらない。小雨がなゝめに窓をぬらす。なんだか寂しいものが漂つてゐるかのやうに靄がけむつてゐる。どちらが西か東か、それさへ走る車のなかでははつきりわからず、旅の気分がしみ/゛\とにじみこむ。
 (中略)
 蝦夷富士といはれてゐる羊蹄山が、をぐらくなつて行く空に、けれどもはつきりと重々しい姿して、大地のおごそかな威力をもつて座してゐるのが近くに見えて、六時頃倶知安駅に着いた。駅員のなまりの多い呼び声に、旅の人らはドツとみな笑つた。いままで退屈と労れとで滞つてをつたものが、一時に洗ひ流されたやうな笑ひ声、そして大方ホームにおりて行つた。
  夕べせまる防雪林のうすやみにましろくたかき山うどの花
  救はれしものゝやうにも車よりおりたちて人ら顔あらひをり
  山の駅まし水ゆたにたゝへられ車も人もよみがへりけり
(九條武子「無憂華」より/「北海道の旅」)

 この、大正15年8月札幌への列車で倶知安通過の車中で詠んだ「夕べせまる防雪林のうすやみにましろくたかき山うどの花」の歌碑が、倶知安町・東林寺の境内に建っています。大正三美人にも数えられた九條武子(くじょう・たけこ)。そんな武子の面影をあらわすかのように、瀟洒な歌碑ではあります。

 九條武子。明治20年、西本願寺の法主・大谷光尊の次女として生まれる。男爵・九條良致と結婚。佐々木信綱が主宰する竹柏会に入会して、歌誌「心の花」に作品が掲載された。京都女子高等専門学校(後の京都女子大学)の創設に携わった。また、仏教婦人会本部長として、社会事業の分野でも活躍した。昭和3年、関東大震災の復興ボランティアに奔走した無理がもとで病没。

 HPをたらたら読んでいて、興味深い記述を発見!

 マコマナイ種畜場も三千五百町歩の広い野と山であつた。こゝへたづねて来る旅の者は誰しも馬の自然に放牧されてゐる状況を見たいと望むのであるけれども、馬は場内の一里も二里も奥地に放つてあつて、殊に夏期は夜もそのまゝだといふことであつた。優秀な種馬や牡牛について説明をうけた。秣を圧搾して貯蔵する円筒形のタンクのやうなものがそここゝにあつて、牛舎からは搾乳のねむさうな音律が聞える。数十頭の牝牛が行儀よくならんでゐるのが見えた。こゝで注意をひくのは北ドイツ、デンマークの農民の一家族を移住させて、あちらの能率の範を示させてゐることであつた。教養と勤勉をもつて有名なだけあつて、十五町歩の畑を二人の手によつて耕作しつゝなほ数頭の牛を飼養し、働きの余暇に遊ぶテニスコートもあつた。それには場内の技師も感心してをられた。ノツクして見る。どこか田舎の人らしい妻君が、ひよつくりした風に顔をだして亭主はサツポロへ買物にいつたといふ。可愛い女の子供がのぞき見してをつた。七面鳥がよた/\やつてくる。燕麦の実りにそよぐ風も身にしみてつめたく、ながい平野の夕方もまもなく暮さうなので辞してもときた道を、灯の町さして帰る。
(九條武子「無憂華」より/「札幌にて」)

 いやー、ここで、エミール・フェンガー氏の消息にふれるとは思わなかった…

 ノックして、家族と話をするなんて、すごいではないですか! ケンブリッジ留学の面目躍如といったところでしょうか。美貌・教養・家柄の三拍子が揃った、こんな夢物語みたいな人って、ほんとに世の中にはいるんですね。ちなみに、「大正三美人」とは、柳原白蓮(大正天皇生母・柳原愛子の姪)、江木欣々、そして九條武子だそうです。