八月の札幌 |
こちらは、いつも、太陽が美しくきらきらと、輝いています。 でも、僕は、北の国のリンゴの故郷がなつかしい。 二人で、青いリンゴをかじったね。 おいしかったよ。 忘れられない。 でも、青いリンゴが泣いていたのを 知っている? さくさく、声をたてて泣いていたよ。 「赤く実る日がくるまでは、生きたかった」 と、泣いていた。 なんにも知らない僕たちは、 二人で、青いリンゴをかじったね。 (畔柳二美「青いりんごのふるさと」) ある夏の日、学校から帰った俊子に届いた白い大きな角封筒。差出人のない手紙。「誰かしら」。字のくせを考えながら、村のともだちの顔をひとり、ひとり想いだしてみた。しかし、どのともだちも、この封筒の字のように、きれいに、上手に書けるとは、どうしても考えられない。 青いリンゴの思い出は確かにあった。しかし、その青いリンゴを二人でかじった相手の健次さんは、もう半年も前に東京の病院で亡くなっている… 「青いりんごのふるさと」の話、なんとも切ないなぁ。「雨傘」とか、「笑顔」とか、いろいろ味わい深い短編の、最後の最後に、この「青いりんごのふるさと」を持ってこられると胸がつまってしまう。 もしかしたら、これが、私の帰りたかった札幌かもしれないと思った。狩太の姉妹(きょうだい)が伯母の家に暮らす札幌。平岸の青いりんごのふるさと。月寒(←「つきさつぷ」と正しくルビがふってある)牧場への遠足。良(りょう)ちゃんと行った鈴蘭狩り。 いつまでも余韻に浸っていたいけれど、ここで仕事。「親の愛情」という話に「小樽」が一瞬出てきますので、メモしておきます。 やがて、札幌の街は春もすぎて夏が訪れた。二度めの、夏休みの帰省のときがやってきたのだ。 山の中の発電所の家へ、久しぶりに帰宅する私は、その日、早朝の汽車で札幌を発った。ところが、その汽車のなかで、私は、好子ちゃんとそっくりの芸者をみつけて首を傾けた。 私の座席から五つほど向うの窓際に、その若い芸者は一人ぽつんと腰かけているのだ。 「おかしいなあ。似てるなあ」 私は、首をかしげては、その日本髪姿の、あつくるしい化粧の顔をじっとみつめる。横を向けば、その鼻筋は、好子ちゃんそっくり。下をうつむくときは、大きな瞳を覆う長いまつげが、好子ちゃんそっくりなのだ。口もとも、頬の丸いふくらみも、すべて好子ちゃんそっくりなのに、ぼったりと白くぬりつぶした顔は、清純な好子ちゃんの肌とは似もつかぬ色をひょいと見せる。 「おもしろいこともある」 私は、一人でつぶやきながら、一時間ほどのあいだ、失礼にあたるほどじろじろと、その娘の姿をみるのであった、そして、たった一度、私たちは偶然、視線が合った。しかし、相手は、あわてて目を伏せると、その後、ぜったいに私の方をみずに、ひたすら、窓外へ顔を向けるばかりなのだ。 やがて、汽車は、一時間後に、北海道の港町、小樽の駅に停った。すると、その芸老は、すうっと立ちあがり、まるで、逃げだすような早足でホームを歩いていってしまった。 |