Welcome to SWAN 2001 Homepage


 
 
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



八月の札幌
 
 

こちらは、いつも、太陽が美しくきらきらと、輝いています。
でも、僕は、北の国のリンゴの故郷がなつかしい。
二人で、青いリンゴをかじったね。
おいしかったよ。
忘れられない。
でも、青いリンゴが泣いていたのを
知っている?
さくさく、声をたてて泣いていたよ。
「赤く実る日がくるまでは、生きたかった」
と、泣いていた。
なんにも知らない僕たちは、
二人で、青いリンゴをかじったね。
(畔柳二美「青いりんごのふるさと」)

 ある夏の日、学校から帰った俊子に届いた白い大きな角封筒。差出人のない手紙。「誰かしら」。字のくせを考えながら、村のともだちの顔をひとり、ひとり想いだしてみた。しかし、どのともだちも、この封筒の字のように、きれいに、上手に書けるとは、どうしても考えられない。
 青いリンゴの思い出は確かにあった。しかし、その青いリンゴを二人でかじった相手の健次さんは、もう半年も前に東京の病院で亡くなっている…

 「青いりんごのふるさと」の話、なんとも切ないなぁ。「雨傘」とか、「笑顔」とか、いろいろ味わい深い短編の、最後の最後に、この「青いりんごのふるさと」を持ってこられると胸がつまってしまう。

 もしかしたら、これが、私の帰りたかった札幌かもしれないと思った。狩太の姉妹(きょうだい)が伯母の家に暮らす札幌。平岸の青いりんごのふるさと。月寒(←「つきさつぷ」と正しくルビがふってある)牧場への遠足。良(りょう)ちゃんと行った鈴蘭狩り。

 いつまでも余韻に浸っていたいけれど、ここで仕事。「親の愛情」という話に「小樽」が一瞬出てきますので、メモしておきます。

 やがて、札幌の街は春もすぎて夏が訪れた。二度めの、夏休みの帰省のときがやってきたのだ。
 山の中の発電所の家へ、久しぶりに帰宅する私は、その日、早朝の汽車で札幌を発った。ところが、その汽車のなかで、私は、好子ちゃんとそっくりの芸者をみつけて首を傾けた。
 私の座席から五つほど向うの窓際に、その若い芸者は一人ぽつんと腰かけているのだ。
「おかしいなあ。似てるなあ」
 私は、首をかしげては、その日本髪姿の、あつくるしい化粧の顔をじっとみつめる。横を向けば、その鼻筋は、好子ちゃんそっくり。下をうつむくときは、大きな瞳を覆う長いまつげが、好子ちゃんそっくりなのだ。口もとも、頬の丸いふくらみも、すべて好子ちゃんそっくりなのに、ぼったりと白くぬりつぶした顔は、清純な好子ちゃんの肌とは似もつかぬ色をひょいと見せる。
「おもしろいこともある」
 私は、一人でつぶやきながら、一時間ほどのあいだ、失礼にあたるほどじろじろと、その娘の姿をみるのであった、そして、たった一度、私たちは偶然、視線が合った。しかし、相手は、あわてて目を伏せると、その後、ぜったいに私の方をみずに、ひたすら、窓外へ顔を向けるばかりなのだ。
 やがて、汽車は、一時間後に、北海道の港町、小樽の駅に停った。すると、その芸老は、すうっと立ちあがり、まるで、逃げだすような早足でホームを歩いていってしまった。