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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



八月の小樽
 
 

 おい、お前元気か。俺は元気だ。家の坊主はこのごろ上機嫌だ。お盆でしこたま酒を呑んだからだ。だが俺は心配している。お盆の酒も残り少くなってきたからだ。変なことだが、葬式がないと家のものは干上ってしまう。先日、俺はそれでも、久しぶりに魚を喰ったよ。押入れへ火鉢をもちこんで、汗を流しながら焼いて喰べた。俺の後は、おふくろと兄貴、最後に坊主が酒をのみながら喰っていた。押入れへ誰かが入ったあとが大変なのだ。魚の匂いを消すために、家じゅうをウチワであおいで歩くのだ。檀家に知れたら事だからな。お蔭で、三日分の線香を一時間で使ったよ。線香というやつも、魚の匂い消しにはもってこいだ。一度、遊びにこないかい。押入れのなかで、魚を喰わせてやるよ。さらば。
(畔柳二美「こぶしの花の咲くころ」)

 三週間前こんな手紙を書いてきた前川さんは札幌の女学校時代、寄宿舎で同室だった人。もちろん、女性。余市の人なのだが、なぜか小樽から、「スグ コラレタシヘンマツ」マエカワ」の電報がニセコの俊子のもとに届く。その小樽へ。

 二人は、肩を並べて駅前の坂道を歩きはじめた。都会風に着飾った前川さんと、山の中からぽっとでてきた真っ黒い顔の俊子とは、まるで主従のようた姿に見えたが、そこは同赦生の気安さで、俊子はぐんと胸を張った。
「いつ小樽へきたの。今、どこにいるの?」
「病院だ」
「えっ病院。お父さん?」
「ちがう。弟だ。鼻の手術だ。あさって退院だ」
「まあ、そう。よかったわ」
 すると前川さんは、急に歩調をゆるめて顔をしかめた。
「よくない。わしは恋人と話ができなくなる」

 恋人とは弟・章一の学校の先生。一週間前、見舞いに来た先生に一目惚れ。なんと、前川さん、先生と「結婚」してしまう。だが、親の意向は、型通りの「坊主の娘は寺へ行け」。それで、考えあぐねて俊子を小樽へ呼んだのだった。それから、さらに一週間。この結末が早々と訪れる。

 おい、お前元気か。俺も元気だ。先日は失礼した。うれしかったよ。次に、家の坊主もおふくろも、檀家のやつまでが恋人を認めたよ。だが、早合点は止めてほしい。彼曰く「結姑の意志はありません」云うな、と怒鳴ってやった。あきれたよ。あいつは、夢遊病者かい。煮志がなくて、どうして結婚をしてしまったのだ。そうだろう。あっさり、あきらめたよ。若いくせに、中気のじいさんみたいたこと云ってやがる。中気は、何べん喰べさせても、すぐ忘れて「喰わん、喰わん」云うそうだ。次に、俺は寺へ行くことに決めた。坊主が断ったのに、寺では来い来い云ってくれたからだ、俊さんの家に近くなるよ。寺へ行ったら押入れの中で、魚や肉をご馳走する。是非きてくれ。待っている。

 いやー、これは、たまげた。映画「サムライの子」の「ミヨシ」以来の超絶キャラクターではないだろうか。川澄の駄目押しロングシュート。こんな人が余市の町に隠れていたとわ!

 畔柳二美の代表作は「姉妹」。「こぶしの花の咲くころ」はその続編にあたります。(残念ながら…)前川さんの物語ではありません。俊子の成長ストーリイです。その「成長」というのが、なんとも、世間一般の「成長」とはかけ離れていて、そのぶっ飛び加減に、私は畔柳二美という人に惚れ直したわけですが、それに加えての、この「前川さん」ですからね。著者、一世一代の怪作といえるのではないでしょうか。体調・メンタルの強さは当たり前、問題は、めぐってきた幸運をガッと掴む握力というか。

 昔、生協のチャリティコーナーで50円でゲットした本。長らく放っておいた一冊ですが、今、テレビが映らないので、なんでもガツガツ読みまくっています。変な、地デジ効果。「こぶしの花の咲くころ」だから、本来は「五月のニセコ」あたりで扱うのがいいのかもしれないが、もう前川さんの魅力の前に抗しがたく、一刻でも早く!と無理矢理「八月の小樽」に紛れ込ませた次第です。今の今まで読みもしないで、ごめん。