Welcome to SWAN 2001 Homepage


 
 
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



七月の小樽 (一)
 
 

 一時間ほど過ぎた頃、建物の入口に鶴代の姿が見え、かれは、街路樹の下をはなれた。
 門を出てきた鶴代の表情を眼にした橋爪は、書類の内容が好ましくないものであるのを感じた。
 かれは、鶴代と歩道を歩き、喫茶店に入った。
 コーヒーを注文し、コップの水を一ロ飲んだ橋爪は、鶴代の表情をうかがいながら、
「どうでした」
 と、声をかけた。黙ったままの鶴代が不安であった。
 鶴代は、無言で床に置いたポストンバッグの中から茶色い大型の封筒を取り出すと、かれに差出した。
「こういうものは、二度と読みたくありません。橋爪さんに一応お渡ししますから、後で送って下さい。母には、折をみて話します」
(吉村昭「歸艦セズ」)

 海軍機関兵・成瀬時夫の不思議な死。「飢餓ニ因ル心臓衰弱」。小樽に寄港していた巡洋艦「阿武隈」の水兵が、なぜ小樽郊外の山中で餓死しなければならなかったのか? 死亡推定時刻、昭和十九年七月二十四日午前八時。

 本人ハ阿武隈乗組中 同艦小樽港碇泊時昭和十九年七月二十二日〇〇四五ヨリ七月二十三日〇六一五迄允許上陸シ 歸艦ノ途次前日ノ宿所同市稻穂町西四丁目鍵善旅舘二辮當箱(官品)ヲ忘置セルニ氣付 直ニ引歸シタルモ 該旅舘ノ位置ヲ忘却捜索中歸艦時刻二遅延スルヲ懼レ 同市稻穗町池神末松商店ヨリ自轉車ヲ借用シ正規時刻ニ歸艦セリ 歸艦後該自轉車返却名義ノ下ニ再ビ許可ヲ受ケ上陸シ 午前歸艦スペキ筈ノトコロ右時刻ヲ過グルモ歸艦セズ 直ニ捜索セルモ不明ナルヲ以テ 同艦作戦任務行動上行方不明中ノ儘七月二十三日附本團ニ送籍セル者ナリ 其ノ後何等ノ手懸ナク行方不明中ノ處 昭和二十年六月三十日附ヲ以テ小樽在勤海軍武官府ヨリ同人變死ノ通報アリタリ 變死ニ至ル迄ノ状況ハ別紙小樽憲兵分隊長報告書及検案書ノ通
 死因………自殺セルモノト認ム             (終)

 ミステリーでいえば犯人ばらしにも等しい行為で恐縮です。が、吉村昭の小説はこんな嫌がらせでは動じない。また、こういう軍隊の文書をすらすら読んで一発で内容を理解できる人は少なくなったとも思えますから。反則だけど、赦してください。
 「海軍は、あなたの専門だから……」。それに、成瀬時夫を調べている橋爪の生涯を知らないことには、この「歸艦セズ」という小説は成立しないのだから。

 「ここで降りて、歩きます」。成瀬が餓死した地に降りてゆく橋爪。彼が目にしたもの…