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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



六月の小樽 (四)
 
 

 父との散歩。小樽の、小さな岬鼻の崖下に巨きな鋼の船の屍。いや、それは、父が生きていた頃の幻か。

「誰か、誰かを呼ぼうか。僕駈けていって、お母さん、いや、電話で、篠田先生をここへ」
 とり乱して言う私へ、うつむいたまま手を挙げてとどめると、
「慌てちゃ駄目だ。お父さんまで怖くなる」
(石原慎太郎「水際の塑像」)

 脳溢血の再発を怖れる父。

「疲れてるんだよ。疲れて血圧が上ってるんだ」
 母を真似し私は言った。
「そうだな」
 素直に頷いた後、
「家へ帰っても黙っていなさい。お母さんがまた余計な心配する。いいな」
 何故か私は頷いた。この場所での父との出来事は、すべて自分一人で背負いたいと思った。
「仕事が忙しすぎるんだよ」
「そうだな」
「休めないの」
「今は休めない」
「どうして」
「お父さんがいないとみんなが困る」
「みんなのために体を壊して、死んでしまうよ」
「そうだな」
 父はふり返り、微笑って見せた。
「しかしね、お父さんは今仕事がしたいのだよ」
「体を壊してまで」
「そんな時があるのだな、誰にでも」
 自分に向って言った。
「責任がある、自分一人に責任があるということが、何よりも大事なことに思える時がな」
「体を壊しても」
 くり返し、訊ねた。
「そのことが怖いと思っていても、しなくてはならぬ時があるのだよ。怖いと思っても、一生懸命、それと競争しなくちゃならぬことがね。それに負けて、逃してしまうと、後できっととても後悔するのだな」
「どうして」
「勇気がなかったとかね……」
「だって仕方がないじゃないか」
 抗うように私は言った。
「仕方がないかな」
 自分に問うように言った。
 暫くし、
「西瓜のチョッサーのことを覚えているか」

 チョッサー(一等運転士)。船長と一緒によく家に遊びに来たチョッサー。手土産に下げてきた熟れた西瓜に、ウィスキーで溶いた砂糖水を注ぎ込んで、私や弟(裕次郎)を酔っぱらわせた。母のつけた綽名が「西瓜のチョッサー」。
 銭函の沖で船が沈んだ時、彼は身体にロープを巻きつけて海に飛び込んだ。彼は嵐の海で鋼鉄の船を引っ張ろうと思ったのだろうか。
 父は何が言いたかったのだろう? 人間が見せる、考えられないような無駄な努力の意味を伝えたかったのだろうか?

「そうだ。お前も、見たな。チョッサーが体に縛って泳いだロープを」
「見た」
「あれが、あのチョッサーの仕事だった。チョッサーは、大きな波と競争して泳いだ。あんなことをしなくても、みんなは助かったかも知れないのに」
「そうなの」
「そうだよ。でも、そんなこと、誰にも始めからわかりゃしないだろう」
「そうだね」

 「水際の塑像」。毎年六月が来る度に、「六月の小樽」でとりあげようとしては、なんとなく消化不良で書くのを止めていたのだけど、福島第一原発を経験したこの夏は書きとめておこうと決めました。心境が変化した。