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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



五月の札幌 (二)
 
 

 しおさいの丘は、インターチェンジに近い場所に作られたばかりの新しい住宅街だ。
 高級というわりには、毛無(けなし)山という、笑ってしまうような名前の山の裾野に開発されたリゾートタウンで、敷地の中に小学校も中学校も塾も病院もあって、すぐ近くにはヨットハーバーやゴルフ場もある。高台なので、朝里川や増毛(ましけ)の海を見下ろしながら、人々が小樽の自然を満喫しながら暮らすのだとかいうコンセプトで作られたそうだ。(中略)
 重たい空と汚れた雪に閉ざされるのが、小樽の街だ。電球が古い家々にぽつんぽつんと灯り、寂しさを浮き立たせる。高台の整然としたニュータウンなんて、お伽噺でしかない。
 ぼくは、しおさいの丘なんて住所を聞いても、まるで高を括っていたんだ。小樽に本当に金持ちなんかいるのかよってさ。
(谷村志穂「リラを揺らす風」)

 小説中に「望洋台ニュータウン」が登場したの、これで3回目。相当な高打率。最初は宮部みゆきの「模倣犯」。その次が桐野夏生の「ダーク」。そして、今回の「リラを揺らす風」。
 三人とも流行の女だということは関係ないだろうか?
 たぶん、男なら、「重たい空と汚れた雪」の小樽、「電球が古い家々にぽつんぽつん」と灯るいつもの小樽風情で大満足なんだと思うのだが、女はなぜかそんな風に終わらない。
 なぜだ。

 ぼくらは、東公園脇の高台から増毛の海を見下ろしながら椅子のシートを倒し、うつらうつらしていた。
 公園から一本道を挟めば、しおさいの丘の子どもたちが通う小学校がある。
 まだ学校へなど通っていない未就学児のように見えるのだが、あの子がここの一年生であるのをはるはすぐに突き止めた。学校の窓から覗いた教室に、その子の描いた絵があったのだという。
 〈やさしいパパ〉

 「模倣犯」も「ダーク」も、描かれる東京の凶悪犯罪に、なぜか北海道・小樽のニュータウンという舞台配置が奇妙にフィットしていたの印象的だった。そして、今回も。
 一九九五年、香田はるか(二十一歳)と、坂本光代(二十歳)は、小樽市で開業する医師宅の長女(七歳)を誘拐し、身代金八百万円を要求した。
 八百万の受け渡し現場がたまたまリラの花咲く札幌だったので「五月の札幌」の方でカウントしました。(「小樽」ばかり続くと重たくなるし…) けれど、これも、実質「五月の小樽」ですね。香田はるかと坂本光代の生育歴には唸ってしまった。こんな子ども、小樽にいる。

 いつもこうなります。みっちゃんのとこのばあちゃん心、最初はなんでも喰えとかゆって優しくしてくれたのに、だんだん迷惑そうにため息をつかれるようになりました。
 そうゆうとき、わたしは小学生の頃を思い出すんです。
 足し算とか引き算とか、九九とか習い始めたとき、先生がストップウォッチを持って時間を計りました。プリント一枚三分でできたら合格でした。一分でできた子はものすごくほめられました。二分の子は、普通によいとゆわれました。三分ぎりぎりで合格するような子が、一番先生に可愛がられていたような気がするんです。やったな、おい、とかゆわれて。ぎりぎりでだめな子は不運な子、そして四分、五分とかかる子はみんなひと括りに、ばかと扱われました。だけど、笑っちゃう。何がそんなに違うんだろう。三分と四分で、そんなに違うんだろうか。三分か四分かが違うんじゃなくて、先生が引いた線の中まで飛び込んでくる子は可愛くて、その外にはみ出た子は可愛くない。先生だけじゃないです。両親だって、きっと心の中でいつもそんな風に子どものするあれこれに線を引いて分けていたんだと思います。
 テーブルに出されたものをよく食べるわたしは、はじめ線の内側に駆け足で入ってくる子に見えたんでしょう。でも、実は一度入るや否やそこにどっかり居座ったまま動かない役立たずになる。寮母さんも、みっちゃんのばあちゃんも、線の内側に入れてしまったのを後悔したんだと思います。

 北教組の聖地だからね。

 医師は、ぼくのセーターの胸をたぐり上げると、そう話しかけた。
「たとえば、男の子がしているスポーツをやっているとか、そういうの、ないですか? 今の時点であんまり深刻にならない方がいいんじゃないですかね。ねえ、光代ちゃんていうんだね。どんな遊びが好き?」
「スカートめくり」
 ぼくはわざと、医者の横に立っていた看護婦さんの脚のあたりを見てそう言った。

 ちなみに、こっちも、典型的な札幌のヤブですね。けったいな親子三人がわざわざ小樽から出ばってきたのに… 気づけよ、ボンクラ。