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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



四月の小樽 (二)
 
 

「この同人誌は、特集号になっていますね。運河戦争に参加し、運河を守ろうと、ありますが、この頃、小樽では、運河の保存について、論争があったみたいですね」
「そうです。私自身は、この頃は、子供でしたし、札幌の人間ですから、実際の経験はありません。しかし、話では、大変なことだったと聞いています。文字通り、運河戦争だったわけですよ。行政側は、古く汚れた運河を潰して、道路を造ると計画し、それに対して、運河の保存運動が起きましてね。これには、日本中から、応援が寄せられました。それが、戦争だったわけです」
(西村京太郎「小樽 北の墓標」)

 私の知っている範囲でいえば、「運河論争」のことを「運河戦争」と記したのは元市立小樽文学館館長だった小笠原克ただひとりではないかと思う。あとは、誰からも「運河戦争」の言葉を聞いたことはない。小樽に住んでいれば、なにかの拍子に、運河埋め立てのあの頃の思い出話が出ることはよくあるが、上に引用したような「戦争」「戦争」の言葉を使って当時を語る人など見たことがない。みんな、「運河論争」だよ、普通。

 ということは、西村京太郎は、小笠原克の「小樽運河戦争始末」一冊カンニングで「小樽 北の墓標」を書いたということになる。

「何しろ、北の小さな町ですから」
「私は、小樽には行ったことはありませんが、ロマンチックだと聞いています。美しい運河はあるし、そうだ、石川啄木も、小樽にいたんじゃありませんか」
「啄木は、小樽でいくつか、歌を残しているんですが、私の好きなのは、これなんです」
 と、木村はいい、自分の手帳に、一つの短歌を書いて、十津川に示した。
  かなしきは 小樽の町よ
  歌ふことなき人人の
  声の荒さよ
「さびしい歌ですね」
 と、十津川は、いった。
「だから好きなんですよ」
(同書より)

 で、小樽だから、「啄木」調味料をぱらぱらっとふりかけて、はい!トラベルミステリー「小樽」ランチ、一丁できあがりか…

 西村京太郎を、このスワン社資料室でとりあげる日が来るとは思ってもみなかった。
 が、よりにもよって、このHPトップにも掲げている「かなしきは…」の歌を持ち出してくるとなると、ちょっと心おだやかではない。無知ゆえに、目の前で抜け抜けと「赤い靴」親子三人像(笑)を建てられた昨日もあるからな。なーにが、ロマンチックなんだか。