Welcome to SWAN 2001 Homepage


 
 
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



二月の札幌 (二)
 
 

 除雪車などが使えなかった時代、札幌では雪道のあちこちに雪かきでたまった雪の山があって、子どもの遊び場になっていました。私の家の前のは、大雪の翌日、近所の5、6年生の男の子たちがスコップをかついで集まり、雪を運び、積み上げ、踏み固め、一日がかりで作った立派なものでした。が、男の子たちはスキーで二日も滑ると物足りなくなったのか、こなくなって、私のスキー練習場になりました。スキーはだれかのお古で、滑るとすぐ金具の外れる代物でした。
(中川李枝子「絵本と私」/雪晴れの日)

 母の札幌庁立高女時代の写真に、セーラー服の女学生たちがスキーをはいてストックを握り、雪の校庭に勢ぞろいしているのがありました。「体育」の時間のスナップだそうですが、スカートではころぷわけにいきませんからどんなことをしたのでしょう。整列や行進の練習でもしたのでしょうか。私のスキーも、この大昔の女学生並みで、雪の上に立っているだけで満足、どちらを向いても白い風景と冷たい空気、雪のにおいに大感激です。それでさそわれると喜んで出かけます。スキー場の青く晴れ渡った空も大好きですが、それ以上に、静まり返った深夜の雪景色は何ともいえません。できるものなら、月に照らされた白銀の世界を歩いてみたいと思います。が、骨まで凍る寒さは苦手で、窓越しに眺めるのみの不精者です。
(中川李枝子「絵本と私」/父と子)

 中川李枝子。不滅の名作絵本「ぐりとぐら」の作者。「ぐりとぐら」以外にも、「いやいやえん」、「そらいろのたね」、「ももいろのきりん」、「かえるのエルタ」など、名作の連発。
 ていうか、この人の場合は、カスみたいな本を書かなかった人と言った方が正確かもしれません。ひとつとしてムダな本を生み出さない。人間に必要な作品、必要なことばだけを書き、足を知る。

 この「絵本と私」も、そう。四十年近い昔、図書館の仕事についた日から今日まで、いつも私の本棚にはこの本があった。これだけ絵本や児童書の情報が溢れかえっている世の中なのに、それでもこの本の大切さは揺るがない。
 なにか、「こども」というもの(こと)を考える際の立ち居振る舞いの哲学が、この本にはあるのではないかと思います。いろいろなことを教えてくれました。今でも心に残る一文、「動物会議」。あれこれ迷ったら、ここに還る。

 あれから50年たちました。人間の世界はあいも変わらず、「いたるところごたごただらけ」です。それで今日も地球のあちらこちらでさまざまな会議が開かれています。でも争いごとはいっこうに解決しません。いつの時代もいちばん悲惨な目にあうのは子どもです。
 先日、テレビで難民の特集を見ていたら、あまりの問題の複雑さに息子が「もう人間の頭脳じゃだめだ、どうぶつ会議をやってくれないかなあ」といいだしました。私も大賛成、だって1949年、ケストナーとトリヤーのコンビで作られた絵本「どうぶつ会議」では、世界じゅうのすべての種類の動物の代表が世界一巨大な建物の動物会館に集まって、人間の子どものために会議を開き、大成功をおさめたのですから。
(中川李枝子「絵本と私」/世界じゅうごたごただらけ)