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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



二月の札幌 (一)
 
 

返還運動の看板 奄美で見て感動  ** 70 (札幌市東区)
 2年ほど前から「週休7日」になったのを機にボランティア活動に徹しようと、昨年の広島県でのミカン収穫に続き、今年は鹿児島県・奄美大島へ豪雨被害の救援に行ってきました。
 その際、奄美市内を歩いていると、市役所に「市民の願い北方領土返還」と記した大看板が掛けられています。「えっ、どうしてここに」と驚き、市役所を訪ねて聞いてみました。
 それによると、7年前、奄美群島の日本復帰50周年記念武典が開かれたのを契機に、毎年、2月7日の「北方領土の日」には、地元の青年会議所や青年団などが中心となり、返還マラソンやキャラバン、勉強会などを続けているといいます。感動しました。
 私は北海道に住みながら、北方領土返還に関しては、さっぼろ雪まつりの際に署名をする程度です。道内市町村の庁舎に、奄美市のような大きな看板が掛かっているのも見たことがありません。深く反省し、自分にも何かできることがないかと自問自答しました。
(北海道新聞 2010年)

 魚雷艇学生・島尾敏雄もいた奄美。

 なぜ雪まつりに「北方領土返還」の署名コーナーが立つかというと、雪まつり期間がちょうど2月7日の日に重なることが多いから。2月7日は「北方領土の日」。

「北方領土の日」をいつにするかについては、ソ連が択捉島への進駐を開始した8月28日などいくつかの候補があったが、最終的に、1855年(安政元年)に日本とロシア(当時は帝政ロシア)との間で最初に国境の取り決めが行われた日露和親条約が結ばれた2月7日に決まった。
(ウィキペディア)

 8月28日の方が断然ふさわしい世の中になってしまった。

 奄美市滞在中に、ロシア大統領が国後島を訪問したとのニュースも流れました。良い方途がないか、日ロ双方が知恵を絞って考えたいものです。
(同記事より)

 あれは、メドベージェフって人ではなくて、川平慈英だ。プーチンなら話は別だが、それ以外は誰だろうとものの数じゃない。