二月の小樽 (二) |
小樽の海には流氷が来ない。二月になり、三月になっても、海は凍らないのだ。とわは初めて、真冬になっても波立ち続ける海を眺めた。氷の上を流れてきて、刃物で斬られるように冷たくなる風に当たれば、少しは宇登呂にいる気持ちを味わえるかと思ったのに、そんなこともかなわなかった。 (乃南アサ「地のはてから」) 「地のはて」知床の物語に差し挟まれる、小樽の「とわ」の物語。 私たちはすでに「ニサッタ、ニサッタ」を読んでいる人たちだから、そこに登場する斜里のお祖母ちゃんが九十年後の「とわ」であることを知っています。 祖母ちゃんの顔に朝陽があたって、顔に刻まれた深い皺一本一本までが、くっきりと見えた。庭では名前の分からない小鳥が植木の間を飛び回っている。しばらくぼんやりとその風景を眺め、それから、祖母ちゃんの読みかけの新聞に目を落としたりしていると、再び祖母ちゃんが「耕ちゃん」と呼んだ。 「なに」 祖母ちゃんは目をしょぼしょぼとさせながらちらりと庭に目をやり、「あの子は」と眩く。 「あの子?」 「ほれ、あんたの連れてきた」 「ああ、竹田? 杏菜な」 今のところ、居間にはおふくろも杏菜の姿もない。さっきから話し声だけは聞こえているから、朝食の支度でも手伝っているのに違いなかった。 「あの子にはねえ、耕ちゃん、あんた、気を使ってやることだ」 「え――」 急に何を言い出すのかと思った。耕平が見ている間に、祖母ちゃんは、ゆっくりとこちらを向き、それから一人でゆっくり頷いた。 「苦労してる子だべさ」 「――そうかも知んねえ。親も兄弟もいないんだって、昨日、言ってたよ。俺も知らなかったんだけどさ」 「そうかね――そう――それにねえ、あの子は、あれだべ」 「あれ?」 「和人でないっしょ」 「わじん? 何さ、わじんって」 「だから、あんたはね、よおっく気を使ってやらねば、なんねえよ。きっと、耕ちゃんさ頼りに思って、はるばる、こんなとこまで来たのに違えねえんだから」 (乃南アサ「ニサッタ、ニサッタ」) その姿が印象的であればあったほど、「地のはてから」=とわの一代記には期待しました。待ち遠しかったです。 で、どうしようかな。小樽の子守奉公時代の挿話について、なんと言えばいいのだろう。おもしろいと言えば言えるし、ウトロの「三吉」の出会いが、こんな形で切断されるのが、意外といえば意外だし… やっぱり、切断なのかな… ただ、切断の仕方はおもしろかった。「小樽の海には流氷が来ない」なんて表現は、私ら、「地のはて」の住人ではない人たちにはとてもできない表現ですからね。こんな角度から小樽に切り込んだ人、初めて見ました。 目ウロコが、もうひとつ。 「やっぱし女は馬鹿だ。いいがぁ? 金せぁあれば、何とでもなる世の中になるっちゅうんだ。見でろよ、この五年、いや、三年の間に、俺ぇぁ必ず一旗揚げて、こっから出でってやる。金せぁあれぁ、商売でも何でもしれば、ええんでねぁが」 酒のせいもあってか、作四郎は目をきらきらと輝かせながら、それから突然、高村光太郎という人の詩を暗唱し始めた。東京の、学生たちやインテリの人らが集まるような店に行くと、しきりにその詩が読まれているということだった。 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ、自然よ 父よ (乃南アサ「地のはてから」) これは、すごい! 高村光太郎は、こう読むのか… 「道程」と「流氷」の合わせ技一本で、とりあえず、乃南アサの勝ち。二回戦、進出。 |