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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



一月の札幌 (二)
 
 

 図書館は学校と渡り廊下でつながった別棟の二階建ての洋館で、一階は閲覧室になり、二階は書庫と、それに続いて三坪ほどの部員室があった。部員室には、F短大を卒えた斉藤恵子という図書館司書が常時いて、貸出事務をとっていた。彼女はまだ二十三歳、悪戯好きの私達は、お婆さんの頭の二字をとって、彼女に「オバ」という綽名をつけていた。
(渡辺淳一「阿寒に果つ」)

 「阿寒に果つ」には別段何の思い入れもありません。ただ、この小説には戦後昭和期・札幌の新制高校の図書館風景が描かれており、職業柄、便利に使わせてもらっています。北海道の図書館史を語る貴重な資料。変な読み方ですが。

 図書部員といっても、新本購入の打合わせ、貸出名簿作製、年に数回の蔵書整理くらいなもので、それも司書の人が中心になってやってくれるので、さして忙しいものではなかった。おまけに本は図書部員にかぎって持出しが自由であったから、本の好きな者には好都合な部であった。
(同書より)

 どこの学校図書館にも「オバ」がいた。そう。北海道の学校(高校)図書館って、伝統的にクラブ制なんです。「図書局」っていったかな、そこへ自分で志願して図書部員(局員)になる。各クラスから何名というような図書委員会制をとっていませんから、そういう「図書局」の仕組みを知らないと、在学中ずーっと縁がないまま卒業してしまいます。私もそうでした。

 (受験期に入って)上級生が.いなくなり、気楽になった私達は、放課後にはきまってこの部員室に集まり、雑談をするのが習慣になっていた。三坪ほどとはいえ中央にストーブがあり、机やお茶の道具の揃った部員室は、私達には絶好のたまり場であった。
 図書部には全部で二十名ちかい部員がいたが、そのうち私と同年は男が五名、女が四名で、女性のなかには純子の親友の宮川怜子もいた。私が部長になり、宮川怜子がいることもあって純子は時々部員室に遊びにきた。いつもセーラー服に、本を二、三冊、小脇にかかえ、例によって音もなく入ってくる。
 本好きで、少しばかり文学を理解しているつもりの図書部員達の間で、純子は教室とは別人のように陽気に振舞った。年上のオバも仲間に入り、冗談をいいあい、声をたてて笑う、私がパリ祭とか、バレンタインデイというのがあるのを知ったのは、この時の話からである。
(同書より)

 北海道の図書館のもう一つの特徴が、これ。「サロン」。なにが鬱陶しいといって、このサロンほど鬱陶しいものはなかったな。なーにが、「パリ祭」なんだか(笑)

「今夜六時に図書館でまた逢いたいわ」
 純子が私に囁いたのは一月の末、昼休みのあと、二人で図書館から教室へ戻る時だった。
「六時に?」
「そう、その頃ならもう誰もいないでしょう」
(同書より)

 結局、サロンは、これ以上のものを生み出せないのだと思い知るのは、高校を出てずーっとずーっと経った青春ももう終わろうとしている頃だった。どんなにか素晴らしい北の仲間たちだろうと、所詮は徒党。「阿寒に果つ」より遠くへは行けません。