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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十二月の小樽 (二)
 
 

 2008年、北海道新聞・小樽後志版連載の「人物散歩」から、今回は「ダニエル・マッキンノン」。

 駄じゃれ上手な米国人教師
 小樽高商(現・小樽商大)に大正、昭和の二十五年間在籍し、米国人教師として英語を担当、ユーモアあふれる講義と人柄の良さで高商生の人気と信頼を得た。
 ロバのドンキー号で通い、「ロバ先生」と住民も敬愛したのは有名な話。駄じゃれの名手で、高商出の小説家伊藤整は「生活の哲人であり、かつユーモリストであった」と伝えている。
 「問答及欧米作法一般」の授業では西洋人の女性の服装構成や、西洋皿とナイフ、フォークを使った洋食の食べ方を教えたとされ、異文化の伝道者的役割も担った。
 学生の勤勉さ、高商の協力態勢に満足し、「仕事が円滑に、且つ愉快に遂行し得られた」と私見に残している。
 だが、そんな明るく、希望に満ちた生活は、太平洋戦争開戦とともに暗転する。

 まさに、暗転の十二月八日。

 教室で逮捕され強制送還
 旧日本軍が真珠湾を攻撃した一九四一年(昭和十六年)十二月八日朝、スパイ容疑で逮捕された。場所は教室。小樽高商生は「有無をいわさず二、三人の刑事が連れ去って行った」と記憶する。
 開戦前には、夏休みの課題英作文「わが故郷について」が日本各地の軍事機密収集に該当するとしてマークざれていた。
 高商の歴史を伝える「小樽高商の人々」によれば、取り調べでは「全身の負傷や前歯が折れるほどの暴行を受けた」。預金も家財道具も「警察に差押さえられ、二束三文で売り飛ばされ(た)」。強制送還された後、「(日本人の)夫人は(中略)淋しく此の世を去り」と記している。
 戦後、教え子らが来日を呼びかけたが、承諾まで二年かかったという。その胸中は察するに余りある。

 マッキンノンたちが送還されていった「交換船」の模様が大変興味深い。まず、英米側。
 ジョセフ・グルー(駐日アメリカ大使)、エドガートン・ハーバート・ノーマン(駐日カナダ公使館員)、ジョン・モリス(東京文理科大学講師)。そして、小樽高等商業学校英語教師のダニエル・マッキンノン。
 対する日本側。来栖三郎(駐アメリカ特命全権大使)、野村吉三郎(駐アメリカ特命全権大使)、石射猪太郎(駐ブラジル特命全権大使)、阪本端男(駐スイス公使)、岡本季正(駐ポルトガル公使)、森島守人(駐ニューヨーク総領事)、寺崎英成(駐アメリカ大使館員)といった役人にはあまり驚かないが、それ以外の顔ぶれに入ると「へえーっ」と思うような名前に出くわします。
 まず、実業家の天野芳太郎(在パナマ天野商会)。さらに、C田竜之助(ブリスベン大学教授)、都留重人(ハーバード大学講師)、坂西志保(アメリカ議会図書館東洋部主任)といった学者たち。竹久千恵子(女優)、ジャニー喜多川(後のジャニーズ事務所社長)。そして、鶴見俊輔、鶴見和子、武田清子といった留学生の名前も登場。

 ジャニー喜多川の名には吃驚。マッキンノンと坂西志保の「小樽」交換船にも(不謹慎かもしれないが)吃驚でした。知らなかった。