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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



十一月の小樽 (二)
 
 

 豊平川を遡るサケを見た帰り、カンタの店に電話がかかってくる。

「あの、島野……島野幹太さんですね?」
 女はミキタと正確に呼んで、本人であることをたしかめた。
「いったい、どんな用事でしょうか。ぼくはあなたをまったく知らないのですがね……」
 幹太はいくらか相手を咎める口調になった。
 すると、女は「ちょっとお待ち下さい」といってひっこみ、かわりに男の低いしゃがれ声がした。
 秋の風――
 我等明治の青年の危機を悲しむ
 頬撫でて吹く
(夏堀正元「愛と別れの街」)

 十年ぶりの小泉敦夫の声。かつて爆弾闘争をともに闘った同志・小泉…

 という、ある年代の方々には大変わかりやすい感傷の小説。過去を伏せ、札幌に流れてきた島野幹太にからむ女たち。デートでめぐる北国の風物。あの「小樽の逆襲」を書いた夏堀正元が、こんなスポーツ新聞の連載小説みたいな作品、書いていたんですねぇ。(別にバカにしているわけではないけれど…ただ驚いただけで) 愛唱歌なんでしょう。元の啄木の歌は「秋の風我等明治の青年の危機をかなしむ顔撫でゝ吹く」なんですが、「顔撫でゝ」よりは「頬撫でて」の方がはるかによい。カッコいいです。

 こういうメンタリティには、やっぱ、啄木ね。

 夏堀氏が相当の「小樽」通であることは、繰り出してくる文物のセンスでわかります。たとえば、アングラ劇団(!)の大西敏明がピアニスト・折戸美加とデートする場所。

「すみません、お待たせして……」
 ふりむくと、青と白の格子柄のしゃれたコートを着た美加が、嬉しそうに笑って立っていた。
「さ、今夜はゆっくり飲みましょう。面白くて小樽らしいお店に連れてって」
 美加ははしゃいだ様子でいった。パーティで酒を飲んだらしく、色白の顔が薄く染まって、思いがけない色気を漂わせている。
「それがね、考えていたんだけど、面白い店も、とくに小樽らしい店も思いつかないんだな」
 大西は苦笑した。じっさい、すっかりさぴれてしまったこの街には、これといった店はなかった。
 人びとは個性を喪って、メダカのように小さく群れるぱかりであった。
(同書より)

 大西は思う。この街の、人ぴとをつなぎあわせているべたついた情緒。衰弱した人間に特有のべたついた情緒。おれが小樽から逃げだしたのは、この街が情緒過多の、ぬくぬくした退嬰的な街になったからだ。

「それじゃ、入舟市場の二階にでもいくことにするかな?」
 やっと決断したように大西はいった。
「市場の二階で、飲むんですか」
 美加が怪訝そうに訊いた。
「ものすごく古くて、汚ない市場でね。しかし、小樽の庶民の匂いがしみこんでいるところさ。その市場の二階に、これまた汚ない飲み屋があってね。だけど、魚も野菜も新鮮で、しかも安いときている」
「へーえ、愉しそうなところね」
(同書より)

 で、ほんとに、ショパン・ピアニスト美加を北海ホテルのパーティから入船市場に連れて行くんだから、これは吃驚。レアな小樽を描きたい作家は数多かれど、「入船市場」が登場したのは、これが最初で最後でしょうね。どっちが第一だったか第二入船だったか、もう私でさえ忘れてしまった入船。(私もメダカの群れの一匹ですが…) でも、なつかしいよ。家族四人が一緒に晩ご飯を食べていた時代が。皿の上には、勤め帰りに入船で買ってきた惣菜や魚が乗っていた。