十月の後志 (二) |
町はさびれても駅は小さくならない。 貿易会社の支社などが小樽を見捨てて札幌に移っても、小樽駅の建物は昔のままに立派だ。建物ばかりではない。ホームの鉄骨屋根の堂々たる張出し具合はどうだ。一級駅の風格を備えている。 午前五時四五分。閑散とした広いコンコース。天井は吹抜けづくりで高い。若い駅員が改札口を離れて、ぽつんと一人立っている。私の切符を見て「すごいですねえ」と言う。北海道だけですでに二〇もの途中下車印が捺され、この切符も風格が出はじめている。 (宮脇俊三「最長片道切符の旅」/第6日(10月18日)) 「町はさびれても駅は小さくならない」か… いい書き出し。さすが、編集長。今年度、私の勤めている図書館で「後志の文学」講座を開きました。全五回の開催の内、第三回目のテーマが「胆振線」。テキストに、 @ 沼田流人「地獄」 A 本山悦恵「雪灯り」 B 小林多喜二「東倶知安行」 C 八木義徳「漁夫画家」 D 宮脇俊三「最長片道切符の旅」 の五作品を選びました。これらの作品の中から「胆振線」が登場する場面を抜き出してあります。古い順になっています。「胆振線」の前身「京極線」の工事現場(タコ部屋)を描いた@。京極駅が終点であったA、B。全線開通した時代のC、D。 このラインナップを見るとすぐにお感じになると思いますが、Dの宮脇俊三「最長片道切符の旅」だけが、ちょっと浮いている。「最長片道切符」だもんな。一発目の沼田流人から始まり、多喜二の「東倶知安行」を経て、最後のトリが「最長片道切符」かよ。大丈夫なのかい…と誰もが思ったのだけれど、意外や意外、見事に「胆振線」話を締め括ったのでした。これにはみんなが吃驚。 @からずーっとクラい話が続いてくると、なんか、「胆振線」のイメージがとても重たいものになってくるのです。(お年寄りの人たちでさえ)なんか私たちが知ってる「胆振線」とちがうなぁと思いはじめたその時、最後の最後で、「最長片道切符」が登場。ああ私たちが子どもの時から知ってる「胆振線」だとなるのですね。ほんとに、「東倶知安行」の時代からはるばる遠いところに来たんだなぁ、私たちは。 |
最長片道切符。日本の鉄道を一筆書き。最初の駅から、一枚の切符で、最後の駅までの間の距離を最大限稼ぐ旅。その6日目。小樽駅をスタート。倶知安から長万部までそのまま函館本線を乗り継ぐと距離を稼げない。そこで、胆振線に乗り換えるのですね。京極の駅も通過。 いやー、悪どいばかりの距離計算。森−大沼間も、きっちり、今はなき「砂原線」を使ってる! 宮脇先生の面目躍如。やりたい放題という言葉の方が相応しいですか… 小樽の若い駅員は、さぞかし吃驚したろうなぁ。 |