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かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



九月の札幌 (二)
 
 

 今朝の新聞、「2人退場 札幌大敗」。コンサドーレ、勝てないなぁ…

 苫小牧市に住む会社員土屋理恵さん(28)が大きな壁にぶつかったのは96年、転勤で千歳市に移り住むことになった23歳の時だった。親元を離れての慣れない一人暮らし、身近に話ができる友人もなく、仕事場とアパートの往復だけに費やす味気ない毎日。新天地での生活は、孤独感で押しつぶされそうな日々だった。唯一の楽しみは休日の里帰り。ある日、テレビ画面から映し出されるコンサドーレの試合を見るたび、食い入るように見つめる娘の姿を見かねた母親の勢津子さんが、「一緒に試合を見に行くかい」と声をかけた。
(コンサドーレ札幌「赤と黒」の奇跡/コンサドーレに勇気づけられて)

 あれは夢だったのだろうか… 道民の多くが、みんな「土屋理恵さん」だった。そんな時代もあった。

 札幌ドーム。今では、あそこは、北海道日本ハムファイターズが野球をやるためにつくったスタジアムだと思っている人もいるだろうけれど、ちがいます。あそこは、最初、J1に昇がったコンサドーレ札幌がサッカーをするための場所だったんですよ。あと、2002年FIFAワールドカップの「イングランドVS.アルゼンチン」戦(←観たかった!)をやるための場所だったのです。日本ハムが北海道にフランチャイズを移してくるのは2004年から。

 札幌市には以前から、現在の札幌コンベンションセンターのあたりにドーム球場(「ホワイトドーム」とか言っていた…)の建設構想がありました。しかし、政治汚職事件で逮捕者が出たことによる資金的な問題から、この構想は立ち消え。
 1992年、札幌市がワールドカップ開催候補地として名乗りを挙げると、新たに建設するサッカースタジアムをホワイトドーム構想とリンクさせる案が浮上し、1996年1月に野球やサッカーなどを多目的に利用できるドームスタジアムとすることに正式決定したのです。
 それを祝うかのように、2000年、岡田コンサドーレのJ1昇格が実現。「キャプテン翼」の松山君もコンサに入団という朗報へと発展して行きました。

 越川春恵の説明によると、ポロ・エンタープライズの「ポロ」は札幌の「幌」のことで、東京のプロモート会社と提携して、主として外国タレントの札幌公演をプロモートする会社なのだそうだ。(略)
「大丈夫よ。まさか、あなたに切符売りをさせるようなことはしないから……でも、たまにはお願いするかもね。人気があると思って受けた公演なのに、けっこう、あてが外れて、売れないケースもあるのよ。どんなに高価なチケットだって、公演の翌日はただの紙っ切れになっちゃうでしょう。シートの七割は売れないと赤字だから、こっちは必死ね。マッチ売りの少女みたいに、夜中まで、一枚でも多く売ろうと、駆けずり回ることもあるわよ。それと厄介なのは会場探しかな。公演は決まっているのに、コンサート会場がなかったりしたら、それこそ大変。札幌は文化都市なんて言ってるけど、意外と大ホールが少ないの。サッポロファクトリーなんか、あんなふうにレストランのお化けみたいなのにしないで、大ホールにしてくれたら、札幌の文化の向上に役立ったと思うんだけどなあ」
(内田康夫「札幌殺人事件」)

 そういえば、ストーンズやイーグルスも、札幌ドームか。

 内田康夫。退屈とは言わないが、なんか、説明クドい。ゴン中山のおかげで、弱いコンサドーレの試合に不相応に客が集まっていることは認めざるを得ないけれど、脚が遅いんじゃ、奪うべくの相手のボールには追いつけません。