Welcome to SWAN 2001 Homepage


 
 
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
 
 



八月の占守島 (一)
 
 

 蓮池透さん。かつて日本人拉致問題の強硬派と目されていたが、2004年に家族会や北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)の事務局長から外れ、現在では、家族会・救う会の右傾化を云い、左派系とも見られる集会にも参加。2009年8月には太田昌国との共著「拉致対論」を出すに至った。これを、変節ととるか、深化ととるかについては今は言いたくない。ただ、「拉致対論」にドキッとする一言があったのは確かだ。それは、「拉致問題の北方領土問題化」という言葉。

 この言葉には、一瞬、心に冷たいものがよぎった。私も、それを怖れているから。

 長島は、ゆっくりとした調子で語り、あらかじめ配付しておいた資料の説明にはいった。資料には、彼が軍使として歩いた経路と、日ソ両軍の配置図が書いてあった。そして長島は、結論をさきに述べた。
《占守島の戦いは、樺太をとったあと、あわよくば北海道を分断して、奥羽地方も若干攻め落として、自国の圏内にしようという狙いをもって攻撃してきた、ソ連の野望……、この事実に関しましては、戦後の、ソ連の資料によっても確認ができますが、日本軍の猛反撃によって、それが容易ではないと知らしめた戦いであります》
 それがためにソ連は、一九七九年ころにアフガニスタンに侵攻し、約十年間、散々な目に遭ってゴルバチョフの時代、ついに撤退を余儀なくされたと長島はいう。
《アフガンは、いまもって政情が不安定でございますが、その遠因こそが、私たち九十一師団の奮戦にある。(中略) アフガンの国民のみなさんには、まことに申し訳ありませんが、九十一師団の戦死者のおかげをもちまして、日本は、国土の分断を防ぎ得た、と私は確信しております》
 意外な結論に、どよめきが起きた。
(大野芳「8月17日、ソ連軍上陸す」)

 占守(シムシュ)島の地上戦。

 ソ連軍の占守島上陸はポツダム宣言受諾に伴う日本軍の武装解除の最中、8月18日未明に開始され、急遽、武装解除を取り止めた日本軍守備隊の第91師団などと戦闘になった。戦闘は一旦はソ連軍を上陸地点である竹田浜にまで追い落とす状態で推移していたが、日本側は第5方面軍の戦闘停止命令に従い、軍使を派遣して停戦交渉を行い、8月21日に日本軍第91師団長が降伏を定めた文書に署名し、完全に停戦が成立した。24日までに、占守島・幌筵島の日本軍は武装解除された。ソ連側死傷者数は日本側死傷者数を上回ったことが判明している(ソ連側資料では日本側死傷者約1,018名、ソ連側約1,567名)。
 その後、新知島までの北部千島の日本軍は、8月27日までに武装解除された。9月初旬までに全千島がソ連軍に占領された。千島列島では占守島以外で戦闘はなかった。降伏後、武装解除された日本兵はシベリアへ抑留された。
(ウィキペディア)

 今、私たちが北海道の大地でのんべんだらりと暑いだの寒いだの言っていられるのは、1945年8月、占守島の日本軍が命をかけて私たちを国土を守ってくれたからだ。そして、その北方領土は、今なお還ってこない。

 旧日本軍戦車を展示 ユジノ「戦争の記憶伝える」
 千島列島最北端のシュムシュ島(占守島)から、ロシア・ユジノサハリンスクに搬送された旧日本軍の戦車1両が1日、サハリン州立郷土史博物館に展示された。今年制定された2日の「第2次世界大戦終結記念日」に合わせた展示で、州政府は「戦争の記憶を伝えるのが目的」と強調している。
 占守島では1945年8月18日、旧ソ連軍が上陸し、武装解除中の旧日本軍と交戦した。州政府は島内にある旧日本軍の戦車のうち、保存状態が良好な1両を搬送した。
 戦車は全長約4メートル、幅2メートルで、総重量は7.1トン。赤茶けた車体を迷彩色に塗装し、屋外に展示した。第2次世界大戦終結記念日は日本が降伏文書に署名した日でもあり、「戦勝の象徴的な存在」との見方もあるが、州政府顧問の郷土史家イーゴリ・サマーリン氏は「展示は戦争を繰り返さないため。戦車はむしろ、日本との友好の証しだ」と話した。
(北海道新聞 2010年9月2日)

 吐き気がする。親分(ソ連)も子分のチンピラ(北朝鮮)も、百年、何も変わってねえ。

 平成七年八月二十二日、やはり札幌護国神社で催された北千島慰霊の会の慰霊祭に出席した村上則重元少佐も、式典のあと挨拶に立ち、「反撃命令を下したことは、今でも正しかったと信じております。しかしながら、終戦になって、国に帰れると思っていた戦死者や、ご遺族のことを思いますと……(泣き声になり、壇上からおりて)ただ、この通りでございます」と、遺族のまえに土下座して詫びた。会場は一瞬にして凍りつき、顔面を蔽った白いハンカチのあいだから鳴咽が漏れたという。そして村上氏は、「長年のもやもやが、やっとすっきりしました」と、感想をもらしたそうである。
 口はばったいようだが、わたしは、いくつか戦友会に出席させて戴いたが、こういう光景は、見たことも、聞いたこともない。それほど世界にも稀な、前代未聞の戦闘だった。
(大野芳「8月17日、ソ連軍上陸す」/あとがきより)

 いったい、私たちは、この二十世紀の遺物たちと如何に戦えばよいのか。